福田徳郎

 江戸時代に印刷された「江戸切り絵図」を頼りに火付け盗賊改め方長官・長谷川鬼平が活躍した小説『鬼平犯科帳』(池波正太郎著)の舞台を巡る歴史散歩が、今年も古往今来の会(会長北川稔)で行われた。



 1月12日(火)はそれまで晴天続きだった東京の空は一転して泣き出しそうな空模様。一行58名は東急目黒線の不動前駅に集合して、「さむらい松五郎」は「にわか雨」の舞台となった目黒不動尊に向かった。
 「はるかに都下を離るるといえども、参詣の人びと常に絶えず、門前5,6町のあいだ貨食店軒を連ねて人びとを憩わしむ」(出典『鬼平犯科帳』)

 かつて不動尊の門前には鬼平の妻久栄の大好物の「桐屋の黒飴」や、筍飯や生け簀に多摩川の鮎をいれて供した料理店「伊勢虎」もあったというが、現代は大変わりで、江戸名所図絵に載っている桐屋はいまでは鰻屋になっている。

 不動尊仁王門脇には、歌舞伎で有名な盗賊の白井権八・小紫の比翼塚や、甘藷先生で名高い青木昆陽、2.26事件に関わった北一輝の墓地がある。

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江戸切り絵図の目黒界隈(撮影すべて筆者)


 一行はいまも水が落ちる滝場や、神変大菩薩(役の行者)が祭られる女坂を登って目黒不動の内陣に入って拝観のあと、広い境内を通って黄檗宗の名刹「海福寺」へ拝観に伺った。

 江戸時代の初め中国の明から大勢の弟子と渡来された隠元禅師が(1658年)江戸・深川に開創した寺で、京都・宇治の黄檗山万福寺より古い歴史を誇っている。住職の飯田晃玄老師は30代の美男子で東洋五術の運命鑑定士。お堂の説明のたびごとに参加のご婦人からため息が漏れていた。明治43年に寺は目黒に移転、そのときに日比谷にあった中山大納言の書院を移築したから公家屋敷のような本堂になっている。大正天皇が幼少期にこの屋敷で過ごされた。

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目黒不動の本堂前で記念写真を


 海福寺から東へ~。JR目黒駅に向かって目黒川を太鼓橋で渡って池波さんの小説に出てくる「太鼓うなぎ」を探したが昨年夏に廃業、いまではインドカレーの店に変わっていた。

 最後は行人坂を登って坂の途中に石造の五百羅漢が鎮座する大円寺に参詣。

 お七吉三の悲恋物語の主役の吉三は出家して「西運」となり、八百屋お七が15歳で鈴ヶ森で火あぶりになって刑死のあと、遺体を投げ込んだ「投げ込み寺」に近かった大円寺で、お七の菩提と極楽往生を願って念仏三昧の生涯を送った。当時評判になった石造りの太鼓橋や大円寺に現存する大きな阿弥陀三尊像やお七地蔵は吉三こと西運の勧進によるものだ。

 そのお七を模したと伝わるなまめかしい木造の地蔵菩薩や、かつて鎌倉・釈迦堂谷に安置されていた清涼寺式の釈迦如来の模刻(鎌倉時代・国重文)を特別に開扉していただき、参詣、拝観をして例会を終えた。

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大円寺の国宝釈迦如来を拝観しました


 目黒駅界隈の変化は激しく、大きな寺のあったあとは巨大なマンションや銀行に変わり、大名屋敷や寺の境内は雅叙園に変わってしまった。

 かすかな江戸の香りを地図で辿りつつ、変遷の激しい日本の首都の正月の一日を楽しんだのだった。


関連リンク
鬼平散歩(youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=YfWVx_rQpQc