小倉文三

 前回記事:沖縄フォト紀行2010(2) 辺野古の海を見る
 http://www.janjannews.jp/archives/2394948.html

 伊江島の土地強制収用

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 フェリーから見た伊江島(これでほぼ全景)。辺野古以外の県内移設候補地として、その名が筆頭にあがっている。(以下、すべて筆者撮影)


 沖縄戦の激戦地として知られる伊江島で、「反戦平和資料館」をつくったのは、阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんである。彼は、『命こそ宝』(阿波根昌鴻著・岩波新書)に、米軍が伊江島で、住民から基地の用地を取り上げていった様子を次のように書き留めている。
 
 「朝鮮戦争が終わった直後の1955年、米国は完全武装してきて土地をとり上げた。この土地がなくなると生活できないと、手を合わせてお願いする農民を縛り上げて半殺しにした。ガイディアという米軍の隊長は、わしらにこういいましたよ、『この島はアメリカ軍が血を流して日本軍からぶんどったものである。きみたちには何の権利もない、イエスもノーもない』そういって、家を焼き払って飛行場・演習場にしてしまった」
 
 日本がポツダム宣言を受け入れて無条件降伏をしたのは1945年の8月15日のことである。しかし、沖縄戦は、硫黄島の激戦が終わった3月23日に始まり、6月23日にはすでに終わっていた。日本側の死者約18万8千人、アメリカ側の死者約1万3千人という激戦だった。つまり、アメリカは、日本の無条件降伏の約2ヶ月前に、米軍単独で、大きな犠牲を払って、沖縄を掌中にしていたのである。ガイディア隊長の人権無視の思い上がった感覚というのは、そういう戦史的な経過も関係しており、今のアメリカ政府の強硬姿勢にも関係しているのではないか。在日米軍基地は75%が沖縄に集中しているが、それらは、民主的な手続きを経てできたものとは言い難いのではないか。
 
 湾岸戦争(1991年)の折、初めてイラクに足を踏み入れたアメリカ兵が真っ先に沙漠に星条旗を突き立てて、国際的な非難を浴びたが、あれと同じ感覚で、ガイディア隊長は沖縄をとらえていたのではないか。アメリカ人にとって、戦争とは陣取り合戦なのか。とすれば、普天間基地の代替案など別に必要ないのではないか。米軍が、沖縄の人たちの人権を顧みず、強引に普天間に基地を造ったことが、今になって、裏目に出ているだけのことである。また、罪を犯したアメリカ兵を同じ人間として裁いてこなかったことの積年の不満が、今吹き出してきているだけのことである。
 
 伊江島の畑を見下ろす
 
 伊江島の真ん中に城山という赤色チャートの小山(172m)がある。これは、船や飛行機の航行には、とてもいい目標物になるらしい。遠目には登れそうもない急勾配なのだが、実は、頂上までコンクリートの階段が付いていて、誰でも15分ほどで登れる。

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島の中央の城山(172m)の頂上には、360度の眺望が開けていた。すでに米軍基地はあるが、のどかな農的風景をいつまでも残して欲しい。


 階段の途中で、報道写真家の桑原史成さん(73歳)を追い越した。水俣病、韓国、ベトナム、ロシアなどの取材で知られた人だ。実は前の日も辺野古の小型船でいっしょだったのだが、青年のような気迫がみなぎり、労を惜しまず、取材活動をしていた。私が小型船から降りても、「私はもう1度行ってきます」と微笑んで、再び船上の人になった。思うに、船上で動き回っていた私が、彼の撮影の邪魔をしていたのかもしれない。
 
 その前の日は、普天間基地を取材したというから、桑原さんは我々とほぼ同じコースを移動していたことになる。73歳とはとても思えない身の軽さで、30kgはありそうな大きな機材を1人で山上に運び上げていた。頂上で再び顔を合わせたとき、私が、「桑原さんはいつも自然体で、精神もお若いですね」と言うと、「女房にはいつも『人間が軽い』と叱られているんですよ」と言葉が返ってきた。こういう人の精神は、死ぬまで老いることがないのだろうな、と思った。
 
 ウミヘビがいた
 
 伊江島から沖縄本島に渡るフェリーを待っているとき、時間があったので、波打ち際を散歩していると、深さ50cmくらいの入り江の岩場近くをウミヘビが泳いでいた。直径2cmほどの縞模様のホースのようで、150cmくらいの長さであった。岩場に来たので、頭から離れた胴体部分に触ってみた。ウミヘビには毒があるということだが、私は毒蛇も平気なのである。急いで逃げるかと思いきや、全然気にしていないようすだった。ウミヘビに限らず、沖縄の動物は、あまり人を怖れていないように思える。沖縄の人たちが動物たちとそのように接しているからだろうか。野生の鳥や魚も人から逃げようとしないのに驚く。

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フェリー乗り場近くの波打ち際で、ウミヘビが泳いでいた。獲物を探している様子で、岩場に頭を入れつつ、くねくねと活発に泳いでいた。


 1月24日の名護市長選挙が終わって、辺野古への普天間基地機能移転の可能性は遠のいたかに思われる。TVを見ていると、「基地がなければ生きていけない」という推進派の声も聞かれたが、沖縄には魅力的な自然が残っているので、農林水産業や観光産業などでまともに生きていけると思う。基地がなければ生きていけないような仕掛けを巧みに作ったのは、アメリカ政府と日本政府である。沖縄の人たちがまともに生きていくために、米軍基地には徐々にお引取り願った方が、賢明だろう。その意味で、普天間基地の代替施設など要らない。フェリー乗り場で、ウミヘビと戯れながら、そんなことを思った。
 
 
(参考資料)
 
 『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』(屋嘉比収著・世織書房)
 
 『命こそ宝』(阿波根昌鴻著・岩波新書)


(関連記事)
 
 沖縄フォト紀行2010(1) 普天間基地を見る
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 沖縄フォト紀行2010(13) まとめ
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