高村智庸

 質問に答えられないというのは、どんな状態なのだろう。決して難しいことを聞いている訳ではないし、答えることを拒否している訳でもないのだ。相手は愛知県豊橋市で歯科クリニックを開業している39才のS院長。地元では有名人のようだ。しかし、答えようとして、どう答えたらよいのか、言葉が見つからず困っているようにも見えた。S歯科医に会ったのは夜の10時過ぎだった。取材時間は30分という約束で始まったのに、延々と答えてもらえないまま、時間が過ぎてゆく。もう2時間にも及んでいる。途中で何度か切り上げて帰ろうとすると、帰られたら困ると言い出す始末。ならば質問に答えてほしいと言うと、また黙ってしまう。そんな繰り返しだった。私にとってこのようなタイプの人に接したのは初めてだった。幼稚園児でも、もう少しまともに話ができるのではないかとさえ思った。

 このS歯科医師を取材することになったのは、愛知県豊橋市に失敗したインプラントを他の患者に埋め込んでいる歯科医がいるという情報が入って来たからだ。更に何人もの患者に説明もなくインプラント治療をしているという。

 歯のインプラント治療とは失った歯の代わりに、顎の骨にネジ状のチタン製の土台を埋め込み、その上に義歯を着ける治療法だ。一生使える歯として、最近ではこの治療を多くの人が受けるようになった。

 このS歯科クリニックに歯科助手として勤務していた20歳代の女性に会うことができた。「被害にあった人が可哀そうだし、これ以上、あのクリニックから被害者を出してほしくないから、事実を知ってほしいという気持ちで話すことにしました」と語り始めた。
 この女性はインプラント治療の時、院長の傍にいて、その様子を見ていたという。「埋めたインプラントが骨に着かずに抜ける場合があるのです。そのインプラントを台所用洗剤で洗ってから、滅菌パックに入れて、何本も取って置くのです。それを、サイズが合う他の患者さんに埋め込んでいました」と証言した。私は間違いないか何度も念を押した。「間違いありません。取れてしまったインプラントを私たちが洗剤で洗っていたのですから」「プラスチックのケースに何本もストックしておくのです。その中から、院長が選んで、他の患者さんに埋め込んでいました」。この証言は、他のS歯科クリニック関係者からも聞くことができた。

 このS歯科医師は、地元の新聞に大々的に広告を載せ、自らのホームページに「豊橋NO1の症例数」と謳っている。2003年6月から2009年11月30日までのインプラント累計実績は2244人の患者に5969本埋めたと公表している。この2244人の内、どれだけの患者が使い回しのインプラントを埋め込まれているのだろうか。

 一度、患者に埋めたインプラントを消毒したとしても、それを別の患者に埋め込むという、インプラントの使い回しに問題はないのか、専門家に聞いてみた。日本で初めてインプラントを導入した小宮山彌太郎歯科医師は「科学を無視した、あり得ないこと」と言った。「チタンは骨と着きやすい性質がありますが、僅かでも異物が付着していると、骨とは着かなくなります」。
 インプラントに他人のたんぱく質や脂肪などが着いていた場合、異物を排除しようという生体の働きから骨に埋め込んでも着くことはないという。そんなことをしたら、いずれはインプラントがグラグラになり取れてしまうことになるのだという。

 洗剤で洗って、消毒しているということだが、問題はないのか。実は昨年、S歯科で使い回すために取って置いたインプラントが豊橋市歯科医師会に持ち込まれた。それを神奈川歯科大学法医学の山田良広教授がDNA鑑定をした。その結果、人のDNAが検出された。それも骨か歯牙などの硬いものであることが確認されたという。山田教授は人の組織であることは100%間違いないと断言した。未使用のインプラントは容器に入っていて、最初にインプラントが触れるものは患者の血液であり骨だという。小宮山医師は、仮に消毒したガーゼに触れてしまったとしても、そのインプラントは使用しないという。それ程、厳重に取り扱うものなのだから、再使用など考えられないことだという。そして更に心配されるのが、感染という問題だ。再使用されたインプラントに付着物が確認された以上、インプラントを介して感染している可能性は考えられる。インプラントに添付されている注意書きには「再使用禁止、再滅菌禁止」と書かれている。再使用は勿論だが、再び滅菌することも禁止されているのだ。

 S歯科で被害にあったという70歳代の女性に会った。この女性は自分の歯が殆どなかった。地元の新聞一面に載ったS歯科クリニックの広告を見て、インプラント治療に興味を持ち、話を聞くつもりで訪ねたところ、「診てみましょう」と言われるままに、診察台に座らされて23本ものインプラントを埋め込まれ、治療費として400万円請求されたという。

 更に、それ以来2年以上も頭痛や歯茎の痛みに悩まされているという。歯茎の部分が赤くなっていて、歯ブラシが使えない状態だという。術後から2年間もS歯科に通ったものの、院長は「大丈夫、良くなっていますよ」としか言わず、まったく痛みが治らないという。50歳代の男性も何の説明もなくインプラントを埋め込まれ、唇の周囲が麻酔されているようなしびれが治らないという。

 40歳代の主婦は虫歯の治療に行ったのに、本人には何の説明もなく6本もインプラントを埋め込まれたという。また、120万円の治療費を払ったという患者は8本のインプラントを入れた後、歯茎が腫れて、痛みが取れないから、別の歯科に診てもらうと、1本はグラグラしていて取れてしまったという。調べてみると、抜けたインプラントは顎の骨ではなく、肉の部分に刺さっていたという。

 これらの被害者に共通しているのが、余りにも乱暴な治療だということと、事前に治療についての説明を受けていないことだ。インプラント治療について、どのようなことをするのか、期間はどのくらいかかるのか、術後のケアはどうするのか、患者に既往症はあるのか、費用はどの位かかるのかなど、歯科医師として説明しなければならないし、患者の疑問に答えなければならないのに、そうした義務をまったく果たしていないのは何故なのか。自らのブログで「やさしく、丁寧な治療を心掛けます。インプラント治療について疑問を持っている方は一度ご相談ください。できる限り希望にそえるような治療を提案させて頂きます」と書いている。この言葉、恥ずかしくないのだろうか。

 問題はまだある。S歯科クリニックは保険医の指定を取り消されている。無資格の歯科助手に診療させ、不正な診療報酬の請求をしたとして、2006年10月に5年間の保険医取り消しと保険医療機関の登録取り消し処分を受けている。そんな処分中でありながら、元歯科助手によると、レーザー治療をさせられたという。院長から「光を当てて」と言われ、患者の治療中に言われるままに意味も分からず、患部にレーザーを照射したという。S歯科を辞めた後に、知合いの歯科医師にその話をして、自分が何をさせられていたのか分かったという。「聞いた時は、身体が震えました」。
 処分中でありながら、歯科医師の資格がない人に治療行為をさせていたことも、今回の取材で分かった。このS歯科クリニックは何のために、こんな無責任であきれた行為を、日常的にしていたのだろうか。


 S院長に会うことになった。インプラントを再使用しているという証言に対してどう答えるのか。何故かS院長の他に母親とS歯科の広告をよく載せている地元新聞の取締役が同席することになった。延々と時間がかかった話を要約すると「一度使ったインプラントは別の患者に埋め込んではいない」という。インプラントとして再使用しているという証言を、複数の人から得ているというと「勘違いか、辞めていった人の中に悪く言う人がいる」などと言う始末だった。一度使って、洗って消毒したインプラントは何のためにあるのかという質問には「骨にあけた穴(インプラントを埋めるためにドリルであけた穴)のサイズを測るために使った」という。そして現在は、洗って消毒したインプラントは無いという。あけた穴のサイズを測るゲージがあるのに、なぜ一度使ったインプラントをゲージ代わりに使っていたのか「一番ピッタリなものですから、滅菌も消毒もしているものですから、ゲージとして使っています」この方法は自分だけが独自にやっていることかもしれないと付け加えた。

 一度使ったインプラントを、別の患者には埋め込んでいない。このことは頑なに否定した。しかし、ゲージとして使ったインプラントはどのようなプロセスで滅菌パックに入れられるのかという点と、インプラントに添付されている注意書きには再使用禁止・再滅菌禁止と書いてあることを歯科医師として知っているかという点については、答えなくなってしまう。「えーっと」とか「んー」と言ったまま、その先の言葉が出て来なくなってしまうのだ。自分が普段していることを、具体的に認めたくはない。かといって、それを上手く言い逃れることができないから言葉が詰まってしまう。私はそう感じた。この推測は正しいと思っている。たったこれだけの内容に2時間もかかったのは、答えない時間が如何に長かったかということだ。

 当然と言えば当然なのだが、S歯科クリニックのインプラント治療について内部告発があった。その内部告発を受けて、豊橋市歯科医師会と被害者、それにS歯科クリニックの勤務経験者が、厚生労働省で記者会見を開いた。インプラントの使い回しや患者の同意がないまま、インプラントを埋め込んでいる。不適切な治療によって、痛みやしびれなどの不満を訴える患者が続発していることなどを告発する意味合いがあった。S歯科医師は歯科医師会を退会しているが、会長としては、これ以上の被害の拡大を防ぐ必要があると心境を語った。そして、豊橋市歯科医師会に、2009年度中だけでもS歯科医師に関する苦情が24件も寄せられているという。

 歯科医師会や被害者が会見したことによって、愛知県と豊橋市の保健所が医療法に基づいて立ち入り調査することになった。前日の1月19日に通告したところ、S歯科医師は「わかりました」と答えたという。しかし20日朝、自宅で首をメスで切って自殺を図った。幸いなことに命に別条はないということで、現在も入院中だ。S歯科クリニックは休診が続いている。しかし、豊橋市保健所はS歯科クリニックのインプラント治療による感染が心配されることから、特別相談窓口を1月25日に設置した。2月1日までの1週間ほどで489人から相談があり、内8割は肝炎を心配しているという。また、歯科医師会にも治療途中で困っている人や治療が終わっているのに不都合がある人から相談があるという。

 それにしても、このS歯科医のブログ(現在は閉鎖中)には高級外車などを3台も持ち、東京・六本木の高級ホテルのスイートルームに宿泊したなどと公開している。S歯科医のこんなセレブ生活のために、あり得ない診療行為が行われているのだとしたら、被害を訴えている人たちはどう思っているだろうか・・・。