真泉仁

 小沢VS検察の不公平な戦いが一旦は終結した。すなわち、小沢氏は一旦は不起訴と決まった。しかし、これからも政治家と検察、権力と権力の不公平な戦いは起こり得る。敢えて「不公平」と呼んだが、「非民主的」と呼ぶべきかも知れない。
 
 政治家は、まぎれもなく権力を持つ。しかし、我々国民に選挙で選ばれなければ権力を手にすることができない。だから、民主的な権力と呼ぶことができるだろう。政治家は税金で活動費がまかなわれるから、納税者に問われたときに活動の訳を説明する義務があると思う。
 
 また、今までの官庁の権力は事務次官が持っていた。しかし、この権力を民主的な権力とは呼べなかったと思う。なぜなら、我々国民のあずかり知らぬ場で選ばれ、勝手に手にする権力だからである。このような権力は万が一暴走したときに、我々が止める手段はなく危険である。
 
 幸いにも、民主党内閣では、官庁の権力を政治家が持つことに変更しつつある。この方法は諸外国でも採用されている正しい方法であると思う。
 
 それでは、検察は権力なのか。今回の小沢VS検察の戦いを見れば明らかなように、検察はまぎれもなく権力を持つ。しかしながら、残念なことに非民主的な権力と言わざるを得ない。このような権力は万が一暴走したときに、我々が止める手段はなく危険である。
 
 それでは、官庁における変更と同様に、検察の権力を政治家が持つことに変更したらどうか。しかし、そうすると検察は政治家に対する捜査がどうしても鈍くなる懸念が否めない。外国では、検察を選挙で選ぶところがあるので、今後は日本でもそうすべきと思う。
 
 また、検察は税金で活動費がまかなわれるから、納税者に問われたときに活動の訳を説明する義務があると思う。しかし、今回の小沢VS検察の戦いを見れば明らかなように、検察の説明は説明になっておらず、あたかも拒否しているかのようだ。検察を選挙で選ぶようにすれば、このようなことも解消されるに違いない。
 
 一方、今回の小沢VS検察の戦いが一旦は終結した後にも、小沢氏の責任を追及したり、小沢氏の説明では納得できないとの報道が続いているが、それは小沢氏自身が決めるべきである。なぜなら、小沢氏は政治家であり、政治家を続けるには、民主的に選ばれるしか道はないのだからである。
 
 それから、裁判官も権力を持つが、選挙で罷免できる仕組みは一応はある。「一応」としたのは、投票者の意思が十分に反映されない仕組みと考えるからである。これからは、それぞれの裁判官が、過去にどういう裁判で、どういう判決を出したか等、裁判官に関する情報提供を充実させることが望まれる。
 
 最後にメディアも権力を持つことがあり得ると思う。つまり、戦時中の大本営発表のような情報統制はある種の強力な権力と同じであると思う。現在の日本は大手メディアが多くの情報を牛耳っており、国民にとってたいへんリスクの高い状態にあると思う。
 
 幸いにも、民主党内閣では、新聞と放送の分離、第三者による監督機関の新設等が行なわれる方針である。このような施策は諸外国でも採用されている正しい施策であると思う。早期の実現を願ってやまない。