長島義明

 前回記事:阪神大震災の記憶(13) 避難先にて
 http://www.janjannews.jp/archives/2565328.html

 被災地を歩いていると被災者たちが残して行った伝言板が目についた。多くは訪ねてくるであろう家族や友人たちにあてたメッセージで、被災者たちが避難している場所が書かれていた。中には外国人の友人の安否を気遣う伝言板もあった。

 菅原商店街の焼けた鉄骨に貼られた段ボール紙には「Bob 無事か?Tel して (くま)」と書かれていた。よく見てみると横に三幸寿司と書いてあった。震災後8年ほど経ってその場所を訪れてみたが、新しくカラフルな家が建ち並ぶ町は震災当時をしのぶ面影は何一つ無く、町の道路も色つきのレンガで舗装され広くなっていた。これが震災を受けた町だったのかと、信じられないほどの変わり様だった。だが、所々、家と家に挟まれた狭い空き地があり、ペンペン草が生えているのを見ると、そこが震災で焼けた家の跡だと判る。

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菅原市場の焼け跡に段ボール紙に書かれた伝言板があった、長田(以下すべて1995年1月、撮影・長島義明)


 その道に三幸寿司と云う暖簾を見つけ、店に入っていったが主人はその段ボールに書かれた伝言板の事は覚えていなかった。たぶんアルバイトに雇った青年が書いたのではないか、長田には在日韓国人や朝鮮人の他にも中国人やベトナム人、ブラジル人、イラン人も住んでいて、おそらくBobと云う外人もアルバイトに来ていた青年の友達だろうと云う。

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崩壊した家の前に家族の無事を知らせる伝言板があった、南灘


 私は20年ほど前にベトナム難民が長田に住み、靴製造工場で働いていると聞き、取材をしたことがある。国連の難民高等弁務官事務所の仕事だった。当時から長田地区はそうゆう人々を受け入れて来た町なのだ。神戸元町の中華街には多くの中国人が住み働いているし、北野界隈にはインド人や古くから住んでいるロシヤ人やユダヤ人やイラン人もいる。阪神大震災では彼等外国人に対して県や市はその国の言葉で震災情報を提供する事がなかった。電話が不通になり、日本語を読み書き出来ない彼等にとって震災時の情報がまったく伝わらず不安であった事は想像出来る。

 芦屋に住む私の知人はそうゆう外人に震災情報を英語で書きプリントして配り、大変感謝されたそうだ。何時にどこそこで給水車がくる、とか、どこそこの避難先では食べ物を配るとか云う情報である。被災者に対しては日本人、外人の差別なく情報を提供し助け合わなければいけない。国や県や市に、その対策があるのだろうか、今でもないように思う。

 神戸長田の鷹取教会の敷地には多文化、多言語コミュニティを目指す「FMわいわい」と云う放送局があるが、これは震災時に外国人に情報を提供するボランティア達が立ち上げたラジオ局であり、現在も地域に住む外人たちに絶大な信頼を得て多くのファンを持ち、楽しい番組を提供している。ラジオ出演する人もさまざまで外人だけではなく日本人も多く、多文化、多言語コミュニティを目的とするだけあって、その時々のテーマは幅広くユニークな放送局になっている。このような放送局が多くの市に増えれば外人にとってどれほど心強いか、そう思う。

 長田の焼け跡で当時の村山首相がクリントン大統領からリンゴをもらってニコニコ顔で写真に写っている新聞を見つけた。1995年1月12日の新聞だ。震災直後の村山首相の対応は遅く、政府としての危機管理能力に欠け、国民から多くの批判を浴びた。即座に自衛隊派遣をしていれば救えた命は多かったと想像されるが、それを決定したのは4日も過ぎてからであった。社会党が衰退して行ったのはこの事が無縁ではない。

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震災時の火災の焼け跡でみつけた村山首相の記事がのっている新聞、長田


 今では当時と比べ情報伝達も多様化し、携帯電話、パソコンの普及に伴いインターネット対応が容易である。段ボール紙に書く伝言板より、確実に被災者情報を知らせる手当があるだろう。また、震災が起きればすぐさま救援隊が駆けつけるシステムも確立できるのではないだろうか。はたしてそれはすでに出来ているのだろうか。政府、県、市、の震災に対する姿勢を知りたい。

 震災後10年過ぎた頃に発覚した関西空港の倉庫に山積みにされた震災援助物資。それは日本全国の個人、団体、企業から送られて来た好意の援助物資だ。それを被災者に届ける事もせず放置されていた。現在もそのままの状態で関空の倉庫に眠っているだろう。その後起きた新潟震災でもその援助物資が使われた形跡はない。震災対策本部が解散した跡、誰がそれを責任もって処分するのだろう。震災時には被災者にとって貴重な援助物資になったはずの物である。命令系統、システムの欠陥は政治と行政の怠慢である。そして地方のテレビ、ラジオ、新聞なども被災者に役立つ詳細な情報を多く伝える努力が必要だと思う。阪神大震災においては神戸新聞、系列のラジオ局、テレビ局の震災情報が被災者に役立った。それは被災者がわの身になって情報を流したからだ。大テレビ局の流す報道は視聴者ねらいのニュースを追うばかりで、被災者が本当に必要とする情報は無いに等しかった。


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