「昔の人類学者は、みな素人だった」という驚きの事実
今年1月、北海道大学構内から、アイヌの墓を盗掘した際に出てきた副葬品などが放置されているのが、大量に発見されました。
これらの副葬品は、戦前から戦後にかけて、児玉作座衛門という解剖学の教授が行った大規模な墳墓盗掘の際に出てきたもので、同教授の生前、人骨や衣装、副葬品の刀や首飾りなどとともに「児玉コレクション」として一緒の建物に展示されていたものです。

コレクションの中の「人骨」は、1980年代に北大の獣医学部から「発見」をされて、供養のための納骨堂が建てられています。
しかしながら、長い間、存在していたはずの副葬品の行方は、わからないままだったのですが、それが今回発見されました。
なぜこのようなことがおこったのでしょうか?
そのヒントとなる講演について、2年以上前に書いた記事ですがご紹介します。
◇
去る2007年の9月15日、岐阜県県民文化ホール未来会館において、アイヌ文化フェスティバル2007 in GIFUが開催されました。

会場である未来会館2階のホール前には、開場になる前から20名ほどの人たちが列をつくって並んでおり、岐阜県という北海道から遠い土地においても、アイヌ、あるいはアイヌ文化に対する関心が、それなりに高いことをうかがわせました。
ホール前には、木彫りの実演や民芸品の販売コーナー、パネル展示などが行われており、財団の発行する、パンフレット・絵本などの無料配布コーナーもありました。
フルカラーのものの多い、大変お金のかかった印刷物の類は、かなり大量にあったのですが、無料ということもあってか、あっという間になくなっていました。
はじめに、財団の理事長の谷本一之さんの話がありました。
「長い間、アイヌにとっては厳しく大変困難な時代がありました。現在は(財団によって)アイヌ文化にとってのルネッサンスに等しい時代となっている」
「若い人たちが積極的に学ぶ姿勢が見られてきた。アイヌ文化は新しく創造されるものも含まれる。このことに財団は大きく貢献していると思う」
などの発言をされました。
先住民族の権利宣言が国連で採択されたから、ではないかもしれませんが、アイヌ民族の活動に対する、財団の貢献を強く訴える内容でした。
次に、名古屋大学の名誉教授の小谷凱宣さんの話がありました。
小谷さんは「聞いてしまうと『なんだそんな話なのか』と、がっかりして言われてしまうかもしれませんが」という前置きをして、ご自身の研究の話をされました。
話の大筋としては、海外のアイヌ資料についての研究と、海外のものを研究してわかってきた日本の資料の、研究資料としての「質の低さ」についての話でした。
まず、海外には、日本人が創造するよりも沢山の「アイヌ資料」が存在します(訳13000点)。
また、意外な話かもしれませんが、そのうち半数は、ドイツを中心とする西ヨーロッパに存在します。
隣国ロシア、アイヌにとっては住んでいた土地もその領土に含まれる国であるロシアには4500点なのに対し、なんとドイツには3000点もあります。
これには、当時流行していた「アイヌ=コーカソイド説」の影響によって、ドイツ語圏の人々にとても高い関心があったことが起因しています。
これらの海外の資料は、おもに外国人研究者のフィールドワークや、日本で働いていたお雇外国人たちの手によって、明治20年代~第一次世界大戦までのあいだに集められたものだそうです。
海外の研究者が集めた資料などは、フィールドワークの専門教育を受けた人たちらしく、状態もよく、資料としての価値がとても高いそうです。
たとえば、はたおりの道具を収集するとしたら、織っている最中のものを買い取る。
そうすると、材料の状態、仕上がったもの、機織につかわれる部品一式、それぞれが、ひとつの品で全てわかるので、いろいろな研究にとても役に立つそうです。
また、収集物の状態もさることながら、そのものを、いつ、どこで、誰が、誰から、どのように買い取った、という入手時の背景情報がとても細かく記録されていて、研究資料としてとても価値が高いそうです。
というか、そういう背景情報がない資料は、美術品としてならともなく、その民族について研究する資料としては、全く役に立たないそうです。
海外の研究者が集めたものは、このような情報がほぼ全て完備されているものの、日本国内に多数存在する(約60000点)、日本の研究者が集めた「アイヌ資料」のほとんどは、逆にこういった資料がほとんどなく、研究資料としての価値はとても低いとのことでした。
また、現在わかっている、このような外国人の研究者達が集めた時代(明治中ごろから第一次大戦まで)の品物を研究するだけでも、この当時、既にアイヌ社会の変容がかなりのスピードで進んでいたということも、よくわかるそうです。
さて、小谷さんは「先住民族アイヌ」が、もっとも長く住んでいる「近代国家」である、日本国内にある、膨大な数のアイヌ資料の、ほぼ全て(95%)に、研究資料としてもっとも重要な、資料受け入れ時の情報が欠落している点について、
その理由の説明として…
○日本では、他の自然史分野に比べて、人類学・民俗学・民族学の研究のための博物館の建設が大幅に遅れていた。また大学での教育も大幅に遅れていた。
○研究者達が単系的進化説を「真実」だと信じていた。
○日本文化研究の特徴である「匿名性重視」の底流が影響していた。特に「常民文化論」など。
最初の理由は、私も小谷さんの話を聞くまでまったく知らなかったのですが、日本では人類学部が学生を受け入れたのは1940年からで、民族学と文化人類学は1941年のことだそうです。
そして、民族学関連の博物館の建設は、大きく遅れて1970年代。
つまり、それ以前の「研究者」は、民族学などについて、組織的な研究手法などについて学んだわけではない素人状態の人たちが関わっていた、ということのようなのです。
このことについては「研究対象」として、おおきく思い当たることがありますが、後述します。
2番目の理由は、なんだか聞きなれない言葉で説明されていますが、意味としては、つまり、アイヌを「遅れた人たち」という偏見の見方で固定して見ていた、という意味になります。
さすがに「差別していたから」とは、いろいろな意味で発言できなかったのでしょう。
これは、そのとおりなのだと思います。
アイヌに関して、一大研究をしたといわれている人たちの著作なども、丁寧にみてゆくと、アイヌを「滅び行くもの」という視線で見続けている人たちは、すくなくありません。
3番目の理由は、かなり注意して聞いていたつもりですが、イマイチ意味がよくわかりませんでした。
また、資料の収集にあたっては、実際には研究者ではなくて、古美術商などがあたっていることが多く、古美術商は、商売上の秘密として、入手先などは教えてくれないので、資料の入手時の情報はないのだろう、という話もしていました。
さて、ここで、私の「思い当たる話」にうつります。
小谷さんの話に、全く出てこなかった資料の収集方法として「墓の盗掘」があります。
現存する多くの資料のうちの何割がそうなのかはわかりませんが、戦前~戦後にかけて、あるいは、もっと以前から、アイヌの墓が、副葬品目当てに、あるいは、アイヌの遺体そのものを目当てに盗掘にあう、という事件が発生していました。
そのときの話が「あまり話題にしたくない話」として、各地のアイヌに伝わっています。
古美術商の話などを考えると、墓を掘り返したのは、全てが研究者が行ったものではないかもしれません。実際に北海道をフィールドワークした人の話に、古物商が扱ったと思われる「アイヌの頭骨」を民間人が「コレクション」していたものを頼んでもらいうける、というものがありました(この行為も「資料の背景情報」を無視しています)。
ですが、かなり大規模な盗掘を北大の教授などがしていたのは確かですし、その際に集められた人骨の問題はいまだに解決しておらず、また骨と共に出てきたといわれる副葬品の行方も不明のままです。
まずこれが一点。
(筆者注:この「行方不明の副葬品」が、今回の2010年1月に北大医学部から発見されたものです)
次に、むかしの研究者の態度の話として、非常によく聞く話が、着物や民具などを「ちょっと借りてゆく」といって持って行って、そのまま返さない、とか、なんでもかんでも古いものを、屋根裏までひっくり返して、洗いざらいもってゆくとか、物や言葉などの自分の研究対象にしか興味がなく、人間性に甚だ欠けている、などの、いろいろと態度が悪い話を、かなり聞かされるのです。
昔のことの話ですから、多少の誇張はあるのかもしれませんが、とにかく「アイヌ研究者」は、どこでも評判が悪い。
とはいえ、昔の人たちは、研究者と古物商の区別が、あまりできていなかった可能性はあります。
しかしそれは、両者が区別できないほど同じ態度だったという可能性も否定できません。
たしかに、現代の「研究者」のなかにも、オカシナ人も実際にいるのですが、態度の変な人は、アマチュアの研究者や趣味の方の場合もすくなくなく、大学などの教育機関で学んだ人は、そのような(表面上の?)態度の悪い人は、そんなには見かけない気が、ずっとしていました。
小谷さんの話を聞いて、古い時代の研究者達は、正規の教育をうけたわけではない人たちばかりだったのだ、ということを聞いて、そういう話ならば、異常に態度が悪いというのも、わかるような気がする、と妙に関心致しました。
資料情報の不足を含めて、全てを「古物商」のせいにしているような部分があるのは、なんだか気になりますが、小谷さんも研究者ですから、同業者を悪くいえないのも、仕方がないかもしれませんね。
いずれにせよ、とてもよい話をしてくれたと思います。
こういうことをいう「研究者」の人がいるのであれば、ご老人達の話に出てくる「野蛮極まりない研究者達」は、少なくとも正規の教育を受けた人の中からは、とても出にくくなっているのかなぁと、期待できます。
そして、これらの話をした後に、小谷さんは、海外の資料の調査はもうじき終わるので、次は国内の資料を調査したい。
資料としての体裁が整っているものは少ないが、一部にはそれが期待できるものもある。
そして、いずれは世界中のアイヌ関連の資料のデータベース化を図りたい、という事をおっしゃっていました。
また将来の夢として、北大西洋地域の先住民族文化についての共同研究の話や、「国立アイヌ博物館」の話などもしておられました。
特に、データベース化を行って、博物館を作った場合、その収蔵品を製作したり修繕したりする技術者が必要で、その育成をぜひアイヌの人たちの中から、ということも言っておられました。
日本国内の資料が、背景情報が欠落していて研究の使用に耐えるものではない以上、現代の人たちに作成してもらうことが大切だ。
また、海外の資料について、アイヌの技術者の人に、しばらく海外に滞在して、昔の時代の収蔵物に触れる機会を作ることができると良い、ということも提案しておられました。
私も、これはとても大切なことだと思います。
物を作る人には、実物を見て伝わるものが、かなり沢山あるのではないか、と思います。
ここの部分の、いま日本国内にある資料が役に立たない、ということについて「なんだそんな話なのか」とがっかりされてしまう話かもしれない、と前置きをされたようです。
もっとも私には、現代の人たちの出番が増えるという意味では、歓迎できる話だったと思います。
ですが、やや気になるのは、こういった、かなり専門分野に突っ込んだ話を、中には「アイヌ」というものに触れるのが初めてな人もいるであろう岐阜の方々相手にしても、ちょっとわかりにくいのではないかなぁ、という点でしょうか。
このあと、平取町の木幡サチ子さんによる、フクロウ神のカムイユカラの講演が行われました。
独得の節回しによって、アイヌ語で謡われる歌は、声もリズムもよく、たいへんよいものでした。

ユカラで謡われる内容のアイヌ語を聞いてわかる人は、会場内にはとても少ないかもしれませんが、アイヌ語で謡われてこそのユカラなのですから、大切なことです。
内容がわからなくとも、その美しさと意義はしっかりと伝わるであろう熱演でした。
また、自己紹介で自らの先祖の名前を順に言ってゆくのですが、その名前が、代を追うごとに徐々に日本式になっていくところが印象的でした。
そのあと、星野工さん、居壁太さんらのアイヌ民族のアーティストによるムックリとトンコリの演奏があり、続いて保存会の踊りなどの演舞がありました。
特に、先住民のアーティスト達の行った楽器類の演奏は、古式然としたものではなく、現代風の…といってよいのかどうかわかりませんが、音楽的にも完成度の高い、かなり面白いものになっていたと思います。
これならば「アイヌ」のテイストが好きで聞いている人たち以外にも、純粋に音楽として、訴える力があるのではないかと思いました。
このようなところに、財団の理事長がいっている「アイヌ文化のルネッサンス」というものが、ひょっとしたらば、あるのかもしれませんね。
それが、財団の力によるものなのか、当人達のセンスと努力によるものなのか、あるいはその両方なのかは、私には、よくわかりません。
いずれにせよ、研究者、財団、アイヌ民族のアーティスト達、アーティストでなくとも自らの手で実践する人たちの、全ての今後に、大いに期待したいと思います。
関連記事:
中部人類学会報告その(3) かつて人類学会を占拠糾弾した活動家の子が、その学会で謡う…いまも生きるアイヌ文化の現在性Esaman2010年02月01日
中部人類学会報告その(2) 政府の「先住民族認定」とアイヌをめぐるネット上の言論Esaman2010年01月30日
中部人類学会報告その(1) 京都に先住民?「先住民/民族」についての深い温度差Esaman2010年01月26日
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「G8ダヨ! 連続学習会・近代国家をめぐる排除と貧困」に参加して小宮朗2008/12/23
イヨマンテを知っていますか?「アイヌと共に語る」講座より小宮朗2009/05/22
「コモンズ」とは-アイヌ民族と対等になるために小宮朗2008/02/20
東京の街に響くアイヌの歌声~フィールドワーク「アイヌと歩む……東京アイヌ史」に参加して小宮朗2007/08/26
アイヌ民族の今と未来 「文化振興法制定」10年Esaman2007/05/25
関連リンク:
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「アイヌ」にまつわるQ&A(Esaman作成のQ&A)
第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告(盗掘されたアイヌの人骨が保管されている納骨堂のレポート)
「アイノの人類学的調査の思ひ出」を読んで(「古い時代の研究者」の行動の一例)
アイヌ文化振興・研究推進機構(アイヌ文化フェスティバルの主催者)
◇記者の「ブログ」「ホームページ」など
Esaman記者プロフィール
http://profile.livedoor.com/esaman/
今年1月、北海道大学構内から、アイヌの墓を盗掘した際に出てきた副葬品などが放置されているのが、大量に発見されました。
これらの副葬品は、戦前から戦後にかけて、児玉作座衛門という解剖学の教授が行った大規模な墳墓盗掘の際に出てきたもので、同教授の生前、人骨や衣装、副葬品の刀や首飾りなどとともに「児玉コレクション」として一緒の建物に展示されていたものです。

「児玉コレクション」と共に写る児玉教授。背後には頭骨、左手には宝刀、その左下には首飾りが列を成している。氏の「アイヌコレクション」は人骨、土器、首飾り、宝刀、着物、器にまで及び、コレクション用の部屋に展示されていた。この部屋には昭和天皇も訪れた。(アイヌ民族に関する人権啓発写真パネル展写真集より)
コレクションの中の「人骨」は、1980年代に北大の獣医学部から「発見」をされて、供養のための納骨堂が建てられています。
しかしながら、長い間、存在していたはずの副葬品の行方は、わからないままだったのですが、それが今回発見されました。
なぜこのようなことがおこったのでしょうか?
そのヒントとなる講演について、2年以上前に書いた記事ですがご紹介します。
去る2007年の9月15日、岐阜県県民文化ホール未来会館において、アイヌ文化フェスティバル2007 in GIFUが開催されました。

2007年のアイヌ文化フェスティバルのポスター。アイヌ民族とは縁の薄そうな岐阜県での開催であったが、たくさんの人が訪れていた。(以下すべて撮影筆者)
会場である未来会館2階のホール前には、開場になる前から20名ほどの人たちが列をつくって並んでおり、岐阜県という北海道から遠い土地においても、アイヌ、あるいはアイヌ文化に対する関心が、それなりに高いことをうかがわせました。
ホール前には、木彫りの実演や民芸品の販売コーナー、パネル展示などが行われており、財団の発行する、パンフレット・絵本などの無料配布コーナーもありました。
フルカラーのものの多い、大変お金のかかった印刷物の類は、かなり大量にあったのですが、無料ということもあってか、あっという間になくなっていました。
はじめに、財団の理事長の谷本一之さんの話がありました。
「長い間、アイヌにとっては厳しく大変困難な時代がありました。現在は(財団によって)アイヌ文化にとってのルネッサンスに等しい時代となっている」
「若い人たちが積極的に学ぶ姿勢が見られてきた。アイヌ文化は新しく創造されるものも含まれる。このことに財団は大きく貢献していると思う」
などの発言をされました。
先住民族の権利宣言が国連で採択されたから、ではないかもしれませんが、アイヌ民族の活動に対する、財団の貢献を強く訴える内容でした。
次に、名古屋大学の名誉教授の小谷凱宣さんの話がありました。
小谷さんは「聞いてしまうと『なんだそんな話なのか』と、がっかりして言われてしまうかもしれませんが」という前置きをして、ご自身の研究の話をされました。
話の大筋としては、海外のアイヌ資料についての研究と、海外のものを研究してわかってきた日本の資料の、研究資料としての「質の低さ」についての話でした。
まず、海外には、日本人が創造するよりも沢山の「アイヌ資料」が存在します(訳13000点)。
また、意外な話かもしれませんが、そのうち半数は、ドイツを中心とする西ヨーロッパに存在します。
隣国ロシア、アイヌにとっては住んでいた土地もその領土に含まれる国であるロシアには4500点なのに対し、なんとドイツには3000点もあります。
これには、当時流行していた「アイヌ=コーカソイド説」の影響によって、ドイツ語圏の人々にとても高い関心があったことが起因しています。
これらの海外の資料は、おもに外国人研究者のフィールドワークや、日本で働いていたお雇外国人たちの手によって、明治20年代~第一次世界大戦までのあいだに集められたものだそうです。
海外の研究者が集めた資料などは、フィールドワークの専門教育を受けた人たちらしく、状態もよく、資料としての価値がとても高いそうです。
たとえば、はたおりの道具を収集するとしたら、織っている最中のものを買い取る。
そうすると、材料の状態、仕上がったもの、機織につかわれる部品一式、それぞれが、ひとつの品で全てわかるので、いろいろな研究にとても役に立つそうです。
また、収集物の状態もさることながら、そのものを、いつ、どこで、誰が、誰から、どのように買い取った、という入手時の背景情報がとても細かく記録されていて、研究資料としてとても価値が高いそうです。
というか、そういう背景情報がない資料は、美術品としてならともなく、その民族について研究する資料としては、全く役に立たないそうです。
海外の研究者が集めたものは、このような情報がほぼ全て完備されているものの、日本国内に多数存在する(約60000点)、日本の研究者が集めた「アイヌ資料」のほとんどは、逆にこういった資料がほとんどなく、研究資料としての価値はとても低いとのことでした。
また、現在わかっている、このような外国人の研究者達が集めた時代(明治中ごろから第一次大戦まで)の品物を研究するだけでも、この当時、既にアイヌ社会の変容がかなりのスピードで進んでいたということも、よくわかるそうです。
さて、小谷さんは「先住民族アイヌ」が、もっとも長く住んでいる「近代国家」である、日本国内にある、膨大な数のアイヌ資料の、ほぼ全て(95%)に、研究資料としてもっとも重要な、資料受け入れ時の情報が欠落している点について、
その理由の説明として…
○日本では、他の自然史分野に比べて、人類学・民俗学・民族学の研究のための博物館の建設が大幅に遅れていた。また大学での教育も大幅に遅れていた。
○研究者達が単系的進化説を「真実」だと信じていた。
○日本文化研究の特徴である「匿名性重視」の底流が影響していた。特に「常民文化論」など。
最初の理由は、私も小谷さんの話を聞くまでまったく知らなかったのですが、日本では人類学部が学生を受け入れたのは1940年からで、民族学と文化人類学は1941年のことだそうです。
そして、民族学関連の博物館の建設は、大きく遅れて1970年代。
つまり、それ以前の「研究者」は、民族学などについて、組織的な研究手法などについて学んだわけではない素人状態の人たちが関わっていた、ということのようなのです。
このことについては「研究対象」として、おおきく思い当たることがありますが、後述します。
2番目の理由は、なんだか聞きなれない言葉で説明されていますが、意味としては、つまり、アイヌを「遅れた人たち」という偏見の見方で固定して見ていた、という意味になります。
さすがに「差別していたから」とは、いろいろな意味で発言できなかったのでしょう。
これは、そのとおりなのだと思います。
アイヌに関して、一大研究をしたといわれている人たちの著作なども、丁寧にみてゆくと、アイヌを「滅び行くもの」という視線で見続けている人たちは、すくなくありません。
3番目の理由は、かなり注意して聞いていたつもりですが、イマイチ意味がよくわかりませんでした。
また、資料の収集にあたっては、実際には研究者ではなくて、古美術商などがあたっていることが多く、古美術商は、商売上の秘密として、入手先などは教えてくれないので、資料の入手時の情報はないのだろう、という話もしていました。
さて、ここで、私の「思い当たる話」にうつります。
小谷さんの話に、全く出てこなかった資料の収集方法として「墓の盗掘」があります。
現存する多くの資料のうちの何割がそうなのかはわかりませんが、戦前~戦後にかけて、あるいは、もっと以前から、アイヌの墓が、副葬品目当てに、あるいは、アイヌの遺体そのものを目当てに盗掘にあう、という事件が発生していました。
そのときの話が「あまり話題にしたくない話」として、各地のアイヌに伝わっています。
古美術商の話などを考えると、墓を掘り返したのは、全てが研究者が行ったものではないかもしれません。実際に北海道をフィールドワークした人の話に、古物商が扱ったと思われる「アイヌの頭骨」を民間人が「コレクション」していたものを頼んでもらいうける、というものがありました(この行為も「資料の背景情報」を無視しています)。
ですが、かなり大規模な盗掘を北大の教授などがしていたのは確かですし、その際に集められた人骨の問題はいまだに解決しておらず、また骨と共に出てきたといわれる副葬品の行方も不明のままです。
まずこれが一点。
(筆者注:この「行方不明の副葬品」が、今回の2010年1月に北大医学部から発見されたものです)
次に、むかしの研究者の態度の話として、非常によく聞く話が、着物や民具などを「ちょっと借りてゆく」といって持って行って、そのまま返さない、とか、なんでもかんでも古いものを、屋根裏までひっくり返して、洗いざらいもってゆくとか、物や言葉などの自分の研究対象にしか興味がなく、人間性に甚だ欠けている、などの、いろいろと態度が悪い話を、かなり聞かされるのです。
昔のことの話ですから、多少の誇張はあるのかもしれませんが、とにかく「アイヌ研究者」は、どこでも評判が悪い。
とはいえ、昔の人たちは、研究者と古物商の区別が、あまりできていなかった可能性はあります。
しかしそれは、両者が区別できないほど同じ態度だったという可能性も否定できません。
たしかに、現代の「研究者」のなかにも、オカシナ人も実際にいるのですが、態度の変な人は、アマチュアの研究者や趣味の方の場合もすくなくなく、大学などの教育機関で学んだ人は、そのような(表面上の?)態度の悪い人は、そんなには見かけない気が、ずっとしていました。
小谷さんの話を聞いて、古い時代の研究者達は、正規の教育をうけたわけではない人たちばかりだったのだ、ということを聞いて、そういう話ならば、異常に態度が悪いというのも、わかるような気がする、と妙に関心致しました。
資料情報の不足を含めて、全てを「古物商」のせいにしているような部分があるのは、なんだか気になりますが、小谷さんも研究者ですから、同業者を悪くいえないのも、仕方がないかもしれませんね。
いずれにせよ、とてもよい話をしてくれたと思います。
こういうことをいう「研究者」の人がいるのであれば、ご老人達の話に出てくる「野蛮極まりない研究者達」は、少なくとも正規の教育を受けた人の中からは、とても出にくくなっているのかなぁと、期待できます。
そして、これらの話をした後に、小谷さんは、海外の資料の調査はもうじき終わるので、次は国内の資料を調査したい。
資料としての体裁が整っているものは少ないが、一部にはそれが期待できるものもある。
そして、いずれは世界中のアイヌ関連の資料のデータベース化を図りたい、という事をおっしゃっていました。
また将来の夢として、北大西洋地域の先住民族文化についての共同研究の話や、「国立アイヌ博物館」の話などもしておられました。
特に、データベース化を行って、博物館を作った場合、その収蔵品を製作したり修繕したりする技術者が必要で、その育成をぜひアイヌの人たちの中から、ということも言っておられました。
日本国内の資料が、背景情報が欠落していて研究の使用に耐えるものではない以上、現代の人たちに作成してもらうことが大切だ。
また、海外の資料について、アイヌの技術者の人に、しばらく海外に滞在して、昔の時代の収蔵物に触れる機会を作ることができると良い、ということも提案しておられました。
私も、これはとても大切なことだと思います。
物を作る人には、実物を見て伝わるものが、かなり沢山あるのではないか、と思います。
ここの部分の、いま日本国内にある資料が役に立たない、ということについて「なんだそんな話なのか」とがっかりされてしまう話かもしれない、と前置きをされたようです。
もっとも私には、現代の人たちの出番が増えるという意味では、歓迎できる話だったと思います。
ですが、やや気になるのは、こういった、かなり専門分野に突っ込んだ話を、中には「アイヌ」というものに触れるのが初めてな人もいるであろう岐阜の方々相手にしても、ちょっとわかりにくいのではないかなぁ、という点でしょうか。
このあと、平取町の木幡サチ子さんによる、フクロウ神のカムイユカラの講演が行われました。
独得の節回しによって、アイヌ語で謡われる歌は、声もリズムもよく、たいへんよいものでした。

ユカラを披露する木幡サチ子さん。舞台に飾られているのは神事などに使う花ゴザで、干したガマで作られている。アイヌ語ではチタラペ、オニカプンペなどの名前で呼ぶ(地方によって違う)
ユカラで謡われる内容のアイヌ語を聞いてわかる人は、会場内にはとても少ないかもしれませんが、アイヌ語で謡われてこそのユカラなのですから、大切なことです。
内容がわからなくとも、その美しさと意義はしっかりと伝わるであろう熱演でした。
また、自己紹介で自らの先祖の名前を順に言ってゆくのですが、その名前が、代を追うごとに徐々に日本式になっていくところが印象的でした。
そのあと、星野工さん、居壁太さんらのアイヌ民族のアーティストによるムックリとトンコリの演奏があり、続いて保存会の踊りなどの演舞がありました。
特に、先住民のアーティスト達の行った楽器類の演奏は、古式然としたものではなく、現代風の…といってよいのかどうかわかりませんが、音楽的にも完成度の高い、かなり面白いものになっていたと思います。
これならば「アイヌ」のテイストが好きで聞いている人たち以外にも、純粋に音楽として、訴える力があるのではないかと思いました。
このようなところに、財団の理事長がいっている「アイヌ文化のルネッサンス」というものが、ひょっとしたらば、あるのかもしれませんね。
それが、財団の力によるものなのか、当人達のセンスと努力によるものなのか、あるいはその両方なのかは、私には、よくわかりません。
いずれにせよ、研究者、財団、アイヌ民族のアーティスト達、アーティストでなくとも自らの手で実践する人たちの、全ての今後に、大いに期待したいと思います。
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中部人類学会報告その(1) 京都に先住民?「先住民/民族」についての深い温度差Esaman2010年01月26日
ウタリ協会が「アイヌ協会」に名称変更した意味Esaman2009/04/02
「G8ダヨ! 連続学習会・近代国家をめぐる排除と貧困」に参加して小宮朗2008/12/23
イヨマンテを知っていますか?「アイヌと共に語る」講座より小宮朗2009/05/22
「コモンズ」とは-アイヌ民族と対等になるために小宮朗2008/02/20
東京の街に響くアイヌの歌声~フィールドワーク「アイヌと歩む……東京アイヌ史」に参加して小宮朗2007/08/26
アイヌ民族の今と未来 「文化振興法制定」10年Esaman2007/05/25
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「アイヌ」にまつわるQ&A(Esaman作成のQ&A)
第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告(盗掘されたアイヌの人骨が保管されている納骨堂のレポート)
「アイノの人類学的調査の思ひ出」を読んで(「古い時代の研究者」の行動の一例)
アイヌ文化振興・研究推進機構(アイヌ文化フェスティバルの主催者)
◇記者の「ブログ」「ホームページ」など
Esaman記者プロフィール
http://profile.livedoor.com/esaman/


私はアイヌ人とアイヌ文化保全の現況に関しては、よく知りません。
以下は思いつきの個人案です。失礼かもしれませんが。
まず、国内外問わず、何人であろうとも、人のお墓を掘って、頭蓋骨や遺品を持ち去ることは非礼です。
①宮城県など、数県に、かなり大きい「アイヌの里」(仮称)を設ける。
②「アイヌの里」の近くに、全国から希望を募って、アイヌ人が住めるようにする(住む家は現代的な家です)。彼らは「アイヌの里」でアイヌ文化の保全維持管理に努める。
③維持の対象となるものは、日常生活や冠婚葬祭関係文化などが含まれます。状況により埋葬も行う。
④維持管理費には国の税金を充当するが、見学からの収入も見込む。
成人や小学中学生などが「アイヌの里」に、ある期間、住むこと
ができるようにする。これは有料です。
⑤日本は「アイヌ文化」を大切にしていることを世界にアピールする。現在、国内外に保管されているアイヌ人の遺品(遺骨含む)は、ほぼ全て「アイヌの里」に戻して戴く。遺骨は「アイヌの里」に墓地を造って丁重に埋葬する。
⑥アイヌの里で作ったものは「民芸品」として国内外に販売する。
収益は、生活費と維持管理費に当てる。