小野連太郎

 毎日新聞は2月15日朝刊22面で「民主党と報道その距離は―『政治とカネ』どう伝える―」の見出しで、外部の専門家3人の話をもとに「メディア」と報道はどうあるべきか、を特集していた。
 
 まず、醍醐聡・東大大学院教授は「開かれたNHKをめざす連絡会」でも活動されている方で、コメントの核心は「小沢氏をめぐる疑惑の追及を民主党政権の追い落としとみなし、あたかも捜査を手控えるよう要求するような言動こそ、国策捜査誘導そのものではないのか。たとえば小沢一郎という一人の政治家が失脚すると崩壊するような政権なら、もともと政権を担当する人材や見識を欠いた政党であったことの証左だと考える」という。一面正論だと思う。
 
 しかし、氏はコメントの冒頭「公権力を監視するのがメディアの役割であれば、その役割をきちんと果たしているかを監視するのが市民団体の役割」と言うのも至極もっともで、それだと氏の言う「メディアを監視し意見する市民団体」があっても不思議ではない。
 
 次に、大石泰彦・青山学院大教授は、「今回の報道について、『検察リークに基づく有罪視報道』という批判がある。しかし、政治家や高級官僚といった公人の場合、国民の知る権利が優先する場合もあるし、足利事件など一般市民が被害にあった冤罪事件と同列に扱うことは出来ない」としながらも、一方、「三井環・元大阪高検公安部長=懲役1年8月・刑期満了で1月18日出所=が検察庁の調査活動費についてメディアの取材に応じようとする矢先に逮捕されるという事件があった。今回の検察批判の背景には、こうした恣意的といわざるを得ない捜査手法が露見した影響があると思う」と、「検察は正義」的報道には、適切な距離感の必要なことを提言している。
 
 最後の大谷昭宏・ジャーナリストは、検察には「『罪となるべき事実』を詳しく国民に説明する必要がある。国民は検察の『雇い主』だ。その雇い主が初めて政権交代させた政権党に向かっていったのだから、今回はトップが自らの言葉で国民に語る義務がある。(略)検察は公判で明らかにすると言うだろう。しかし日本の裁判風土を考えると、公判で起訴内容を否認しても間に合わない。有罪無罪が確定するにはかなりの年月を要するし、現に石川議員には議員辞職勧告決議案が出され、小沢氏の幹事長辞職を求める世論調査の声は7割前後あった。この動きは今後ますます強まるだろう。極端に言えば、議員を追い込みたければ無罪覚悟で起訴してしまえばいいということにもなりかねない」。「(特捜部検事たちは)強力な捜査権がある。メディアは常にその使い方を監視しておかなければならない。検察とメディアの間にはシビアな関係が必要なのだ」と――。
 
 「公権力を監視するのがメディアの役割」という点では3者共通だが、醍醐氏や大石氏の場合、メディアによる権力の監視を新政権民主党と、とりわけ小沢氏らに絞っているが、交代したとはいえ、長い自民党政権時代に築いた強固な政治体制は残存している。ここが議論を分ける対立軸となっている。だが大石氏の場合、検察批判にはかつて露見した検察の恣意的ともいえる捜査の影響も考えられると、メディアには検察と適切な距離を置く必要も指摘している。
 
 そして大谷氏は、特捜部検事の強力な捜査権に対抗して、メディアは常にその使い方を監視し、検察との間にはシビアな関係が必要と、マスコミ報道に批判的な国民の思いをほぼ余すところなく指摘しているように思う。
 
 ところで、上述の特集紙面の一角で「私は『(幹事長の)続投はムリ。いずれ辞任せざるを得なくなる』との見通しとともに、説明責任については『小沢さんは要するに“自分は一切関与していない。従って何も知らない。分からない”と言い続けているだけで、具体的には何一つ説明していない』との立場で解説した」(「(TBS系テレビサンデーモーニング・TVメール)と、「説明責任果たしたか」の見出しで岸井成格氏は書いていた。
 
 岸井氏が言うようにマスコミは、小沢さんや鳩山さんは説明責任を果たしていないと一斉に言い続けているが、マスコミ自身も国民の知る権利に応えているとは到底思えない。それだからマスコミが声を強めれば強めるほど、その裏を疑ってしまいたくなるような心境にならざるを得ない。不幸なことだが。
 
 岸井氏は続けて「(毎日新聞の)世論調査で小沢氏の秘書ら3人が起訴されたことで『小沢氏に責任あり』が88%、不起訴にかかわらず『小沢氏は辞任すべきだ』が69%で、国民の目は極めて厳しく、新聞各紙ともほとんど同じ傾向の数字が並び、小沢氏の政治的、道義的責任と幹事長辞任のケジメを求めていた」というように、マスコミ報道の世論誘導は着実に成功しているといえよう。
 
 しかし今国民は、着実に自己の主張を持ち始め、それを政治に反映させる意思を高めつつある。それが新政権誕生に繋がったということも否定できないだろう。マスコミがこれまでの成功体験で世論をリードしようとしても、そう長くは続かないだろう。
 そこで、私なりにメディアに説明して欲しい何点かを、稚拙ながら以下に挙げてみた。
 
 (1)検察は昨年の総選挙目前の小沢氏秘書の逮捕や、民主党新政権による年明けの今国会開催直前の鳩山首相秘書ら3人の逮捕について、メディアはその深奥に迫る必要はなかったのか。
 (2)マスコミ報道が、小沢幹事長、鳩山首相の「政治とカネ」に絞られ、しかも大手マスコミ各社の報道のほとんどが同様の横並び内容になっているのは偶然か。
 (3)マスコミの情報源は検察リークと言われながら、それに確かな答えがなく、「大本営発表」と揶揄されても明確な反論がない。
 (4)「(小沢氏や鳩山氏に)国民の目は厳しい」というように、マスコミは国民の立ち位置からの報道を自認しているようだが、国民はもっと広く深く掘り下げた事件の真相を知りたくてもそれをしない。なぜか。
 (5)小沢幹事長や鳩山首相は国民に説明責任があるといい続けているが、マスコミにも権力とのもたれあいという疑いをはらす国民への説明責任が果たされていない、など。
 
 小沢幹事長、鳩山首相の「政治とカネ」のスキャンダルで、マスコミは多面的な社会状況の中から一面だけを唯一の『現実』であるかのように報道し続けている。そのため国民の多くはメディアの限定された報道から与えられた『現実』しか視界に入ってこない。それだけに国民は、今回のこの問題に限らず、事件に当たって自分の考えを持ち、報道などで疑問があれば些細なことでも声を上げていくことが如何に大事かの認識を共有したいと思う。


関連記事:【オムニバス】ネガティブなメディアに不信感募る
http://www.janjannews.jp/archives/2551602.html