はじめに
〈(引用者注、記者クラブ問題に対して)市民記者や一般の人々の関心が高まることは、「援護射撃」としては大いに心強いことではあるが、あくまで組織側・開放側を問わず、職業記者たちの泥臭い実情を知らず、机上論だけでは到底打破できない困難さが横たわっているのも一方の事実である。「餅は餅屋」ではないが、最後の落とし前は、これで生活しているプロしか付けられないのだ。〉(「記者クラブ開放は、それ自体が『目的』ではなく、職業記者にとって避けては通れぬ『手段』である」『浅利ヘタレ通信』2010年1月7日付)
上に引用したこの文章は、ジャーナリスト浅利圭一郎氏のブログ『浅利ヘタレ通信』に掲載された記事の一節である。といっても、これら浅利氏の指摘を批判するために、ここで氏の文章を引いた訳ではない。むしろ、「最後の落とし前は、これで生活しているプロしか付けられない」との言葉にネットメディアの一市民記者として激しく同意している。氏が指摘するように、ペン1本で自らの生計を立てるプロのジャーナリストにしか最後の落とし前を付けることはできまい。我々市民記者やブロガーは、これらのジャーナリストを援護射撃することしかできない、否、それ以上のことをしてはならないのだと私は思う。
その一方で、市民記者やブロガー、一般市民が援護射撃を続けるプロのジャーナリストに果たしてそれが可能であろうか、と危惧の念を抱いてならない。というのも最後の落とし前を付ける以前に、テレビやラジオなどでの強大な影響力がありながら、まったく根も葉もないウソを言って憚らないジャーナリストが存在する。それはあくまで一部の人間に過ぎないが、先に述べたように彼らはその発言に強い影響力を持っている。その影響力は、私のようなアマチュア記者の何十人、いや何百人分と言っても過言ではないはずである。
そうした彼らが語る記者クラブ問題のウソを批判したところで、何かがひとつ変わることさえないのかもしれない。それを承知の上で、この問題に対するジャーナリストの事実誤認や思い込みを白日の下に晒したいと思う。この記事には、タイトル通り「なぜ記者クラブ問題ではウソがまかり通るのか」という強い思いが込められている。私と同じく記者クラブ問題に関心を持っている多くの人々に、以下に紹介するこの問題の裏側に潜むウソを知っていただけることを願ってやまない。そして、この記事に登場するプロのジャーナリストには、もしそれは違うと思うならば私の軽薄な指摘を突いてもらえればと思っている。
ちなみに、この記事のテーマとする「ウソ」ひとつ取ってみてもいくつかの意味がある。例えば、新村出編『広辞苑第6版』(岩波書店)で引いてみると、ウソにはそれぞれ3つの意味があることが分かる。記事中で紹介するウソに当てはめて考えてみると、まず1つ目のウソが「(1)真実でないこと。そのことば。いつわり」、2つ目のウソは「(2)正しくないこと」、最後3つ目のウソは「(3)適当でないこと」、という意味に当てはまる。ウソという言葉には偽りで真実でないこと以外にも、正しくないことや適当でないことという意味がある、ということを頭の片隅に置いたうえでこの記事をお読みいただければ幸いである。
「田中さんが記者クラブを廃した」とする1つ目のウソ
昨年12月、市民運動団体「人権と報道・連絡会」の主催で、「官僚・メディアと新政権―記者クラブ廃止に向けて」というシンポジウムが都内で行われた。シンポジウムのパネリストは、元毎日新聞記者の西山太吉氏やジャーナリストの上杉隆氏、英国インディペンデント紙特派員のデイビッド・マックニール氏、衆議院議員の田中康夫氏の4人。その日私はどうしても外せない他用があったため、このシンポジウムに参加することはできなかった。このシンポジウムに参加したフリーライターの山本ケイ氏によると、司会を務めたジャーナリストの浅野健一氏が最後に次のように語り、このシンポジウムを締めくくったという。
〈田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強くジャーナリストには特権があるわけでなはい。日本の大マスコミは自分たちは特権があるんだと考えているのであり、その象徴が記者クラブではないかと思う。今後もこのことについて考えていただきたい。記者クラブを廃止するだけでは解決しないが、廃止することでジャーナリズムの再生につながると思う。長野県でやったことを官邸でもやるべきだ〉(「記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』」『JanJan』2009年12月14日付、原文ママ)
山本氏の証言によれば、シンポジウムでの田中康夫氏の発言を挙げた浅野氏は、「田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強く」とそれが事実であることを前提に話している。だが、浅野氏が語るその前提自体がそもそも崩壊しているとしたらどうだろうか。県知事時代の田中氏が発表した「脱・記者クラブ」宣言で県庁内の記者クラブ室が廃止され、知事らの会見は記者クラブ主催から県主催に変わった。しかし、この宣言は浅野氏の言うような記者クラブという任意組織自体を廃止するものではない。知事会見の主催権が記者クラブにあることが問題であり、時の県知事であった氏はその問題点をひとつ正したに過ぎない。
確かに、田中氏の「脱・記者クラブ」によって、すべてのメディアや一般市民の会見参加が可能になったことは正当に評価されるべきだ。だが、知事会見に参加することは誰でも可能だったが、会見場の常連で厳しい質問を投げかける取材者は、田中氏からほとんど指名されることがなかった。それにも関わらず、上に紹介した氏の良い面ばかりを喧伝し、「長野県でやったことを官邸でもやるべきだ」などと語る浅野氏には何をか言わんやとの一言である。田中氏に対する氏の評価は、私の言う「正当な」評価からは大きくかけ離れた過大評価だと言わざるを得ない。
以下に紹介するジャーナリストのウソと異なり、浅野氏の言う「田中さんが記者クラブを廃した」とのウソに悪意を感じるのは私だけだろうか。そう、記者クラブ改革という目的のために長野県の例を過大に評価する悪意をである。ブログ「追撃コラム&取材メモ」主宰の奥秋昌夫氏は、「記者クラブ制度の改革を望むあまり、事実と違うことを例に取り上げるのは改革から遠ざかることです」(「新政権下で強まる記者クラブ批判」コメント欄より)と指摘しているが、氏の指摘にまったく同感である。氏の言う「記者クラブ制度の改革を望むあまり、事実と違うことを例に取り上げる」人間が果たしてプロのジャーナリストと言えるのか、私には甚だ疑問に思えてならない。
「フリー記者がクラブに入りたがっている」2つ目のウソ
ジャーナリストの大谷昭宏氏は、ニュース番組や情報番組のコメンテーターとしてご存知の方も少なくないだろう。まずここでは、この大谷氏が開設している個人事務所サイトに掲載されたコラム記事「記者会見公開論議、本音を申せば」の一節を紹介したい。ちなみに、氏のこの記事は昨年12月に掲載された「塩野七生氏に異議あり! なぜ記者クラブ全廃が必要なのか」のなかでも紹介している。ただ、前回は記事の文末に文字通り紹介したのみであり、今回はその反省の意味を込めて記事中の発言の問題点を指摘してみたい。コラム記事のなかで、大谷氏は今の記者会見公開論議に対して次のような本音を語っている。
〈本音を申せば、記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ、というところである。各社の記者を前にして定期的に行われる記者会見のどこに魅力があるというのか。翌日の新聞を見れば、どこの新聞、テレビだってそのニュースは扱っている。フリーランスは、そうした玄関ダネの取材はありがたいことに記者クラブ加盟社の記者がやってくれると思っていたらいいではないか。そこに出て行って、各社の記者と一緒に聞いたことを書いた記事やVTRをどこの社が買ってくれるというのだ〉(「記者会見公開論議、本音を申せば」『大谷昭宏事務所ホームページ』2009年11月4日付)
記事のタイトルにある記者会見公開論議の本音として、「記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ」と大谷氏は指摘している。しかし、記者会見の開放を求めているフリーランスのジャーナリストは、氏の言うように「記者クラブに入って玄関ダネを欲しがって」いるのだろうか。偶然にも先月中旬に開かれたシンポジウム「検察とメディア、そして市民社会」のなかで、雑誌『オルタナ』編集長の森摂氏が「つまり、記者クラブに入らなくてもですね、ネタは取れる役所はいっぱいあるわけですね」と述べ、大谷氏と同様の指摘を投げかけている。
この森氏の指摘に対して、まずNPO法人「OurPlanetTV」代表理事の白石草氏が、次にジャーナリストの上杉隆氏が反論している。なお、以下に紹介する両氏の発言は、先述した「OurPlanetTV」がユーストリームで公開している動画を元に、できるだけ発言に忠実に引用したことを付記しておきたい。これらの動画は所々聞き取りづらいのが少し難点であるが、ぜひ1度通しでご覧になっていただきたい。今回この記事では省略した箇所のなかにも興味深いと思える指摘が少なくないと思う。
〈私は記者クラブに入りたいとは全然思ってなくて、記者会見で質問したいっていう、まあだけなんですね。なんで質問したいかっていうと、その時のタイミングでどうしても言質を取っておきたいっていう風に思ったときに入りたい。その時に大臣にアポを取って大臣と個別にインタビューするって手もあるんですけど、忙しいとすぐ聞けなかったりとかするわけですよね。まあそういう意味では、私の感覚としては誰もがきちんとその聞きたいことがあるときに会見に出てその時のことを、まあ私たちの場合本当にいつもいつも必要ってわけじゃないんです、はっきり言うと。
だけど、聞きたい時に聞けるっていうことが重要かな、それはアクセスできるっていうか、そのこの本にもありますけど、コミュニケーションの権利の基本で誰にも邪魔されずにあらゆる手段でそういうものにアクセスできるっていう。私たちはそういうものを求める活動もしているので、当然総務省という、それをつかさどる役所なんですけど、それができるようにするかどうかっていうことを確認するために行って、その前にアクセスを阻害されるっていう、何となくなんでみたいな、そういう…(以下略)〉(「シンポジウム『検察とメディア、そして市民社会』02/13/10 03:23AM」『OurPlanetTV's Videos on USTREAM』)
白石氏の次にマイクを握った上杉隆氏は「今白石さんのフォローをするわけじゃないんですけど」とした上で、「会見開放を求める記者は記者クラブに入りたいのか」という問いかけを言下にこう否定する。「私も記者クラブ、これは記者クラブ論議でも混同される方が多いんですけど、誰一人フリーを含めて記者クラブに入りたいって言ってる人一人もいないんですね。記者会見に出してくれというのが全員これは一致した意見です。このなかにも別に入りたいと思っている人はいないでしょうし。記者会見と言う公正な場で質問をしたいと、それはまさに白石さんが仰るように言質を取りたいんです(以下略)」(前出「シンポジウム『検察とメディア、そして市民社会』02/13/10 03:23AM」)と。
記者クラブに入りたいのではなく、誰にも邪魔されずにアクセスしたいのだということは、上杉氏のみならずフリーランスのジャーナリストの多くが語っている。こうしたなかで、「記者会見に出してくれというのが全員これは一致した意見」であることを知らぬ氏は、「記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ」と見当違いの発言を繰り返している。氏の無知を取り立ててあげつらうつもりはないが、氏の持つ影響力を考えればその言葉はあまりに軽いと言わざるを得ない。『田原総一朗とメディアの罪』(講談社文庫)のなかで、評論家の佐高信氏が「ジャーナリストを名乗るなら、もっと言葉を大事にしてほしいと言いたい」と述べているが、これは大谷氏にも同様に言えることであろう。
「経産省会見開放の事実を報じない」という3つ目のウソ
ジャーナリストの上杉隆氏は、昨年起きた政権交代後の官庁会見のオープン化(ただし、現状では外務省や金融庁など一部の省庁に限られる)の流れを作ったことから、同じくジャーナリストの神保哲生氏らと並ぶ功労者のひとりだと言って良い。かくいう私も、数年前に上杉氏の著書『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)を読み、記者クラブの抵抗に遭って会見開放が進まぬ状況を知った。氏のこの著書をきっかけに、記者クラブ問題について記事を寄稿するなど、会見に参加できぬ非クラブ記者への「援護射撃」を始めたひとりである。
記者クラブに加盟する大手メディアから干されるのを覚悟で『ジャーナリズム崩壊』を出版、その後もメディアへの寄稿やインタビューで記者クラブが抱える弊害を世に知らしめた貢献は小さくない。だが、その上杉氏ですら霞が関の中央省庁のなかでも重要な経済産業省の記者会見がオープン化されていることを伝えてはいない。Webマガジン『月刊チャージャー』のインタビューに対し、上杉氏は経産省で他省のクラブ記者が取材を行う際、経産省記者クラブの許可が必要であることを紹介している。このインタビュー記事に取材日は書かれていないが、外務省や金融庁での会見開放への言及から、民主党政権が誕生したのちに行われたインタビューであることが分かる。
〈記者クラブにいる現場の記者にも、記者クラブはないほうがいいと考えている人は多いんじゃないでしょうか。現在の記者クラブの制度では、文部科学省の記者クラブに詰めている担当記者が経済産業省で取材しようとすると、経済産業省の記者クラブの許可が必要です。たとえば「CO2削減」の取材をしようとすれば、省庁をまたがって取材が必要でしょ。本当にいい取材がしたいというジャーナリストとして普通の気持ちをもっていれば、記者クラブなんてないほうがいいと思うのは当たり前のことなんです。〉(「【調査】まずは疑って係!/上杉隆氏に聞いてみました 『記者クラブ廃止』ってどうなんだ?」『月刊チャージャー』2009年12月号)
だが上杉氏はこれらの事実を紹介する一方で、経産省の記者会見が非クラブメディアにもオープン化されていることにはまったく触れてはいない。それは、今回のようなインタビュー記事だけでなく、『週刊朝日』などに対する寄稿記事でも同様である。経産省の記者会見がオープン化されているこの事実を最初に紹介したのは、雑誌やネットなどの記事で記者クラブ問題を取り上げる上杉氏らではなく、私の記憶が正しければ地方自治を専門とするフリーランスライターの小川裕夫氏であった。先月19日、実際に経済産業省の大臣会見に参加した小川氏は、私のメール取材に対し記者クラブ主催会見の印象を次のように語っている。
〈入館方法などは省庁ごとに異なり、しかもフリーの記者が記者会見に来ることがないので受付嬢が覚束ない対応だったことを除けば、特に閉鎖的な印象はありませんでした。
大臣に質問もできるし、撮影も禁止されていません。
事前に幹事社に確認したところ、記者会見の進行を妨害しないような形であれば(つまり他の省庁と同様に、最後段にカメラをセットして撮影すれば)ネット中継も禁止していない、とのことでした。〉(フリーランスライターの小川裕夫氏)
小川氏の証言によると、直嶋正行経産相に質問できネット中継も可能だが、フリーやネットなどの記者が参加しないために記者会見が大メディアに独占されているという。記者クラブ主催という壁があるとはいえ、開放されている経産省の記者会見が大メディアの記者に独占されているのはなぜなのか。これについて小川氏は、「経産省の広報がヘタにつきる」とした上で次のように指摘する。「記者クラブ側からしてみれば、『フリーランスは記者クラブを開放せよと騒いでいるが、開放している経産省に行かないのだからパフォーマンスで言っているだけ。そのうち、飽きて来なくなるのではないか』と思われても仕方がない」
氏の言うように経産省の広報活動が下手であるにせよ、広報課や記者クラブに問い合わせればこの事実を知ることができるはずだ。にも関わらず、上杉氏らフリーのジャーナリストが経産省会見開放の事実を知らないのは、「岩上(安身)さんや上杉さんのような人たちは、記者クラブ制度に煮え湯を飲まされ続けており、省庁の大臣会見がすべてクローズドになっていると思い込んでしまっている節がある」と小川氏は言う。といっても、氏の言う「省庁の大臣会見がすべてクローズドになっている」との思い込みをここで非難するつもりはない。それは私だけでなく、私のメール取材にお応え下さった小川氏もたぶん同じ思いであろう。ただ一点、フリーやネットの記者が経産省での会見開放を報ずるとともに、クラブ主催会見の場でぜひ質問に立って欲しい。
◇記者の「ブログ」「ホームページ」など
大泉千路のブログジャーナル
http://c-oizumi.doorblog.jp/
〈(引用者注、記者クラブ問題に対して)市民記者や一般の人々の関心が高まることは、「援護射撃」としては大いに心強いことではあるが、あくまで組織側・開放側を問わず、職業記者たちの泥臭い実情を知らず、机上論だけでは到底打破できない困難さが横たわっているのも一方の事実である。「餅は餅屋」ではないが、最後の落とし前は、これで生活しているプロしか付けられないのだ。〉(「記者クラブ開放は、それ自体が『目的』ではなく、職業記者にとって避けては通れぬ『手段』である」『浅利ヘタレ通信』2010年1月7日付)
上に引用したこの文章は、ジャーナリスト浅利圭一郎氏のブログ『浅利ヘタレ通信』に掲載された記事の一節である。といっても、これら浅利氏の指摘を批判するために、ここで氏の文章を引いた訳ではない。むしろ、「最後の落とし前は、これで生活しているプロしか付けられない」との言葉にネットメディアの一市民記者として激しく同意している。氏が指摘するように、ペン1本で自らの生計を立てるプロのジャーナリストにしか最後の落とし前を付けることはできまい。我々市民記者やブロガーは、これらのジャーナリストを援護射撃することしかできない、否、それ以上のことをしてはならないのだと私は思う。
その一方で、市民記者やブロガー、一般市民が援護射撃を続けるプロのジャーナリストに果たしてそれが可能であろうか、と危惧の念を抱いてならない。というのも最後の落とし前を付ける以前に、テレビやラジオなどでの強大な影響力がありながら、まったく根も葉もないウソを言って憚らないジャーナリストが存在する。それはあくまで一部の人間に過ぎないが、先に述べたように彼らはその発言に強い影響力を持っている。その影響力は、私のようなアマチュア記者の何十人、いや何百人分と言っても過言ではないはずである。
そうした彼らが語る記者クラブ問題のウソを批判したところで、何かがひとつ変わることさえないのかもしれない。それを承知の上で、この問題に対するジャーナリストの事実誤認や思い込みを白日の下に晒したいと思う。この記事には、タイトル通り「なぜ記者クラブ問題ではウソがまかり通るのか」という強い思いが込められている。私と同じく記者クラブ問題に関心を持っている多くの人々に、以下に紹介するこの問題の裏側に潜むウソを知っていただけることを願ってやまない。そして、この記事に登場するプロのジャーナリストには、もしそれは違うと思うならば私の軽薄な指摘を突いてもらえればと思っている。
ちなみに、この記事のテーマとする「ウソ」ひとつ取ってみてもいくつかの意味がある。例えば、新村出編『広辞苑第6版』(岩波書店)で引いてみると、ウソにはそれぞれ3つの意味があることが分かる。記事中で紹介するウソに当てはめて考えてみると、まず1つ目のウソが「(1)真実でないこと。そのことば。いつわり」、2つ目のウソは「(2)正しくないこと」、最後3つ目のウソは「(3)適当でないこと」、という意味に当てはまる。ウソという言葉には偽りで真実でないこと以外にも、正しくないことや適当でないことという意味がある、ということを頭の片隅に置いたうえでこの記事をお読みいただければ幸いである。
「田中さんが記者クラブを廃した」とする1つ目のウソ
昨年12月、市民運動団体「人権と報道・連絡会」の主催で、「官僚・メディアと新政権―記者クラブ廃止に向けて」というシンポジウムが都内で行われた。シンポジウムのパネリストは、元毎日新聞記者の西山太吉氏やジャーナリストの上杉隆氏、英国インディペンデント紙特派員のデイビッド・マックニール氏、衆議院議員の田中康夫氏の4人。その日私はどうしても外せない他用があったため、このシンポジウムに参加することはできなかった。このシンポジウムに参加したフリーライターの山本ケイ氏によると、司会を務めたジャーナリストの浅野健一氏が最後に次のように語り、このシンポジウムを締めくくったという。
〈田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強くジャーナリストには特権があるわけでなはい。日本の大マスコミは自分たちは特権があるんだと考えているのであり、その象徴が記者クラブではないかと思う。今後もこのことについて考えていただきたい。記者クラブを廃止するだけでは解決しないが、廃止することでジャーナリズムの再生につながると思う。長野県でやったことを官邸でもやるべきだ〉(「記者クラブ廃止、出来るか出来ないかでなく『やるかやらないか』」『JanJan』2009年12月14日付、原文ママ)
山本氏の証言によれば、シンポジウムでの田中康夫氏の発言を挙げた浅野氏は、「田中さんが記者クラブを廃して全ての人が表現者であるとしたことは印象強く」とそれが事実であることを前提に話している。だが、浅野氏が語るその前提自体がそもそも崩壊しているとしたらどうだろうか。県知事時代の田中氏が発表した「脱・記者クラブ」宣言で県庁内の記者クラブ室が廃止され、知事らの会見は記者クラブ主催から県主催に変わった。しかし、この宣言は浅野氏の言うような記者クラブという任意組織自体を廃止するものではない。知事会見の主催権が記者クラブにあることが問題であり、時の県知事であった氏はその問題点をひとつ正したに過ぎない。
確かに、田中氏の「脱・記者クラブ」によって、すべてのメディアや一般市民の会見参加が可能になったことは正当に評価されるべきだ。だが、知事会見に参加することは誰でも可能だったが、会見場の常連で厳しい質問を投げかける取材者は、田中氏からほとんど指名されることがなかった。それにも関わらず、上に紹介した氏の良い面ばかりを喧伝し、「長野県でやったことを官邸でもやるべきだ」などと語る浅野氏には何をか言わんやとの一言である。田中氏に対する氏の評価は、私の言う「正当な」評価からは大きくかけ離れた過大評価だと言わざるを得ない。
以下に紹介するジャーナリストのウソと異なり、浅野氏の言う「田中さんが記者クラブを廃した」とのウソに悪意を感じるのは私だけだろうか。そう、記者クラブ改革という目的のために長野県の例を過大に評価する悪意をである。ブログ「追撃コラム&取材メモ」主宰の奥秋昌夫氏は、「記者クラブ制度の改革を望むあまり、事実と違うことを例に取り上げるのは改革から遠ざかることです」(「新政権下で強まる記者クラブ批判」コメント欄より)と指摘しているが、氏の指摘にまったく同感である。氏の言う「記者クラブ制度の改革を望むあまり、事実と違うことを例に取り上げる」人間が果たしてプロのジャーナリストと言えるのか、私には甚だ疑問に思えてならない。
「フリー記者がクラブに入りたがっている」2つ目のウソ
ジャーナリストの大谷昭宏氏は、ニュース番組や情報番組のコメンテーターとしてご存知の方も少なくないだろう。まずここでは、この大谷氏が開設している個人事務所サイトに掲載されたコラム記事「記者会見公開論議、本音を申せば」の一節を紹介したい。ちなみに、氏のこの記事は昨年12月に掲載された「塩野七生氏に異議あり! なぜ記者クラブ全廃が必要なのか」のなかでも紹介している。ただ、前回は記事の文末に文字通り紹介したのみであり、今回はその反省の意味を込めて記事中の発言の問題点を指摘してみたい。コラム記事のなかで、大谷氏は今の記者会見公開論議に対して次のような本音を語っている。
〈本音を申せば、記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ、というところである。各社の記者を前にして定期的に行われる記者会見のどこに魅力があるというのか。翌日の新聞を見れば、どこの新聞、テレビだってそのニュースは扱っている。フリーランスは、そうした玄関ダネの取材はありがたいことに記者クラブ加盟社の記者がやってくれると思っていたらいいではないか。そこに出て行って、各社の記者と一緒に聞いたことを書いた記事やVTRをどこの社が買ってくれるというのだ〉(「記者会見公開論議、本音を申せば」『大谷昭宏事務所ホームページ』2009年11月4日付)
記事のタイトルにある記者会見公開論議の本音として、「記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ」と大谷氏は指摘している。しかし、記者会見の開放を求めているフリーランスのジャーナリストは、氏の言うように「記者クラブに入って玄関ダネを欲しがって」いるのだろうか。偶然にも先月中旬に開かれたシンポジウム「検察とメディア、そして市民社会」のなかで、雑誌『オルタナ』編集長の森摂氏が「つまり、記者クラブに入らなくてもですね、ネタは取れる役所はいっぱいあるわけですね」と述べ、大谷氏と同様の指摘を投げかけている。
この森氏の指摘に対して、まずNPO法人「OurPlanetTV」代表理事の白石草氏が、次にジャーナリストの上杉隆氏が反論している。なお、以下に紹介する両氏の発言は、先述した「OurPlanetTV」がユーストリームで公開している動画を元に、できるだけ発言に忠実に引用したことを付記しておきたい。これらの動画は所々聞き取りづらいのが少し難点であるが、ぜひ1度通しでご覧になっていただきたい。今回この記事では省略した箇所のなかにも興味深いと思える指摘が少なくないと思う。
〈私は記者クラブに入りたいとは全然思ってなくて、記者会見で質問したいっていう、まあだけなんですね。なんで質問したいかっていうと、その時のタイミングでどうしても言質を取っておきたいっていう風に思ったときに入りたい。その時に大臣にアポを取って大臣と個別にインタビューするって手もあるんですけど、忙しいとすぐ聞けなかったりとかするわけですよね。まあそういう意味では、私の感覚としては誰もがきちんとその聞きたいことがあるときに会見に出てその時のことを、まあ私たちの場合本当にいつもいつも必要ってわけじゃないんです、はっきり言うと。
だけど、聞きたい時に聞けるっていうことが重要かな、それはアクセスできるっていうか、そのこの本にもありますけど、コミュニケーションの権利の基本で誰にも邪魔されずにあらゆる手段でそういうものにアクセスできるっていう。私たちはそういうものを求める活動もしているので、当然総務省という、それをつかさどる役所なんですけど、それができるようにするかどうかっていうことを確認するために行って、その前にアクセスを阻害されるっていう、何となくなんでみたいな、そういう…(以下略)〉(「シンポジウム『検察とメディア、そして市民社会』02/13/10 03:23AM」『OurPlanetTV's Videos on USTREAM』)
白石氏の次にマイクを握った上杉隆氏は「今白石さんのフォローをするわけじゃないんですけど」とした上で、「会見開放を求める記者は記者クラブに入りたいのか」という問いかけを言下にこう否定する。「私も記者クラブ、これは記者クラブ論議でも混同される方が多いんですけど、誰一人フリーを含めて記者クラブに入りたいって言ってる人一人もいないんですね。記者会見に出してくれというのが全員これは一致した意見です。このなかにも別に入りたいと思っている人はいないでしょうし。記者会見と言う公正な場で質問をしたいと、それはまさに白石さんが仰るように言質を取りたいんです(以下略)」(前出「シンポジウム『検察とメディア、そして市民社会』02/13/10 03:23AM」)と。
記者クラブに入りたいのではなく、誰にも邪魔されずにアクセスしたいのだということは、上杉氏のみならずフリーランスのジャーナリストの多くが語っている。こうしたなかで、「記者会見に出してくれというのが全員これは一致した意見」であることを知らぬ氏は、「記者クラブに入って定例の記者会見といった玄関ダネを欲しがってどうするのだ」と見当違いの発言を繰り返している。氏の無知を取り立ててあげつらうつもりはないが、氏の持つ影響力を考えればその言葉はあまりに軽いと言わざるを得ない。『田原総一朗とメディアの罪』(講談社文庫)のなかで、評論家の佐高信氏が「ジャーナリストを名乗るなら、もっと言葉を大事にしてほしいと言いたい」と述べているが、これは大谷氏にも同様に言えることであろう。
「経産省会見開放の事実を報じない」という3つ目のウソ
ジャーナリストの上杉隆氏は、昨年起きた政権交代後の官庁会見のオープン化(ただし、現状では外務省や金融庁など一部の省庁に限られる)の流れを作ったことから、同じくジャーナリストの神保哲生氏らと並ぶ功労者のひとりだと言って良い。かくいう私も、数年前に上杉氏の著書『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)を読み、記者クラブの抵抗に遭って会見開放が進まぬ状況を知った。氏のこの著書をきっかけに、記者クラブ問題について記事を寄稿するなど、会見に参加できぬ非クラブ記者への「援護射撃」を始めたひとりである。
記者クラブに加盟する大手メディアから干されるのを覚悟で『ジャーナリズム崩壊』を出版、その後もメディアへの寄稿やインタビューで記者クラブが抱える弊害を世に知らしめた貢献は小さくない。だが、その上杉氏ですら霞が関の中央省庁のなかでも重要な経済産業省の記者会見がオープン化されていることを伝えてはいない。Webマガジン『月刊チャージャー』のインタビューに対し、上杉氏は経産省で他省のクラブ記者が取材を行う際、経産省記者クラブの許可が必要であることを紹介している。このインタビュー記事に取材日は書かれていないが、外務省や金融庁での会見開放への言及から、民主党政権が誕生したのちに行われたインタビューであることが分かる。
〈記者クラブにいる現場の記者にも、記者クラブはないほうがいいと考えている人は多いんじゃないでしょうか。現在の記者クラブの制度では、文部科学省の記者クラブに詰めている担当記者が経済産業省で取材しようとすると、経済産業省の記者クラブの許可が必要です。たとえば「CO2削減」の取材をしようとすれば、省庁をまたがって取材が必要でしょ。本当にいい取材がしたいというジャーナリストとして普通の気持ちをもっていれば、記者クラブなんてないほうがいいと思うのは当たり前のことなんです。〉(「【調査】まずは疑って係!/上杉隆氏に聞いてみました 『記者クラブ廃止』ってどうなんだ?」『月刊チャージャー』2009年12月号)
だが上杉氏はこれらの事実を紹介する一方で、経産省の記者会見が非クラブメディアにもオープン化されていることにはまったく触れてはいない。それは、今回のようなインタビュー記事だけでなく、『週刊朝日』などに対する寄稿記事でも同様である。経産省の記者会見がオープン化されているこの事実を最初に紹介したのは、雑誌やネットなどの記事で記者クラブ問題を取り上げる上杉氏らではなく、私の記憶が正しければ地方自治を専門とするフリーランスライターの小川裕夫氏であった。先月19日、実際に経済産業省の大臣会見に参加した小川氏は、私のメール取材に対し記者クラブ主催会見の印象を次のように語っている。
〈入館方法などは省庁ごとに異なり、しかもフリーの記者が記者会見に来ることがないので受付嬢が覚束ない対応だったことを除けば、特に閉鎖的な印象はありませんでした。
大臣に質問もできるし、撮影も禁止されていません。
事前に幹事社に確認したところ、記者会見の進行を妨害しないような形であれば(つまり他の省庁と同様に、最後段にカメラをセットして撮影すれば)ネット中継も禁止していない、とのことでした。〉(フリーランスライターの小川裕夫氏)
小川氏の証言によると、直嶋正行経産相に質問できネット中継も可能だが、フリーやネットなどの記者が参加しないために記者会見が大メディアに独占されているという。記者クラブ主催という壁があるとはいえ、開放されている経産省の記者会見が大メディアの記者に独占されているのはなぜなのか。これについて小川氏は、「経産省の広報がヘタにつきる」とした上で次のように指摘する。「記者クラブ側からしてみれば、『フリーランスは記者クラブを開放せよと騒いでいるが、開放している経産省に行かないのだからパフォーマンスで言っているだけ。そのうち、飽きて来なくなるのではないか』と思われても仕方がない」
氏の言うように経産省の広報活動が下手であるにせよ、広報課や記者クラブに問い合わせればこの事実を知ることができるはずだ。にも関わらず、上杉氏らフリーのジャーナリストが経産省会見開放の事実を知らないのは、「岩上(安身)さんや上杉さんのような人たちは、記者クラブ制度に煮え湯を飲まされ続けており、省庁の大臣会見がすべてクローズドになっていると思い込んでしまっている節がある」と小川氏は言う。といっても、氏の言う「省庁の大臣会見がすべてクローズドになっている」との思い込みをここで非難するつもりはない。それは私だけでなく、私のメール取材にお応え下さった小川氏もたぶん同じ思いであろう。ただ一点、フリーやネットの記者が経産省での会見開放を報ずるとともに、クラブ主催会見の場でぜひ質問に立って欲しい。
◇記者の「ブログ」「ホームページ」など
大泉千路のブログジャーナル
http://c-oizumi.doorblog.jp/
