長島記者の連載「阪神大震災の記憶」を毎回通読し、御自身の足で歩きその目で見た赤裸々な文章に感動しました。尊い命を失い悲しみにくれる人、そこから力強く立ち上がった人、それを支えた多くの人々。一人一人の心が伝わってきた。四国から駆けつけ「祈りを奉げた僧侶」にも心を打たれた。
筆者も当時、同窓生たちの安否を気遣いながらも連絡が取れず、不安な数日を過ごした思い出がある。電話は通じずテレビやラジオだけが情報源であった。ニュース映像で最も印象的だったのは、水の出ない消火栓の前になすすべがなく呆然と立ちすくむ消防隊員の姿だった。
震災から数年たって上京したとき、建築家のM氏に都内を案内してもらう機会があった。「ゆりかもめ」に乗って都内臨海部を巡った折、車中で筆者が「首都で大地震に遭遇したらガラスの雨が降るのでは・・・」と危険論を発し、超高層建築の窓ガラスの話題になった。
筆者の心配に対し、M氏が語った事をまとめると、
1.「超高層ビルは耐震基準に従い設計どおりに施工されていれば、そんな事はないと思う・・・」
2.「実際、神戸の震度7程度では、人の命を奪うほどではない事が分かった」
3.「昭和56年に建築基準法が大改正され、新耐震設計法が導入された」
4.「それよりも中高層建築物で、昭和56年の建築基準法改正以前の建物が問題」
5.「そうした建物で、まだ補強を終えていないガラスの多い建物では問題が多いのではないか」となる。
筆者は「そうかなあ・・・」と疑問を残したまま帰路についた。
(筆者注:M氏は1970年代に超高層ビルの設計に参画した一級建築士。筆者とは学生時代寝食を共にした親友で、この記事への写真掲載の了解も得ている。以下この建築家を単にMと記す。)
この会話が発端で我家に、Mの写した阪神大震災の記録写真帳「大地の怒り」が送られて来た。70ページに及ぶこの写真帳をスキャンしたものが手元にあり長島記者の記事が立体的に理解できたのは幸いであった。
一方、ヤフーやGooglなどで阪神大震災の画像検索をしてみると数万がヒットする。しかしその記録写真の多くは、高速道路や線路の横転したもの・火の海の長田区・潰れたビルやその周辺の瓦礫の山、などである。
「大地の怒り」には、震度6強以上の地震にも耐えた建物が数多く記録されている。
報道を主体とするメディアの多くはニュース性重視の画像にこだわる。結果として軽微な損傷や健全であった建物の情景は記録に残りにくい。
そこで、筆者とMとのメール交信記録から、当時の超高層建築の状況や破壊された建物について写真を掲載し「建築家の目から見た阪神大震災」を紹介する。(続編に引用する場合があるので掲載の写真・資料に連続番号を記入、十数編の記事になる予定である。)
(1-1)・神戸商工貿易センタービル

このビルのホームページにはその耐震性について、次の様に書かれている。
「1995年の阪神・淡路大震災時に証明されました。震度6以上という未曾有の大震災でも、神戸商工貿易センタービルは損壊どころか、その構造に異常すら見られませんでした。」
しかし、この写真の余白にはMの筆で【このガラスのほか、上層部に2ヶ所ある】と追加の書き込みがある。
(1-2)・震源地図

(1-3)・阪神淡路大震災震度マップ

気象庁が地震機動観測班を派遣し現地調査を実施した結果、以下の地域は震度7であった。
神戸市須磨区鷹取・長田区大橋・兵庫区大開・中央区三宮・灘区六甲道・東灘区住吉、芦屋市
芦屋駅付近、西宮市夙川等、宝塚市の一部、淡路島北部の北淡町、一宮町、津名町の一部(内閣府HPより平成18.5.19.消防庁発表:確定報)
尚、筆者は神戸市の地理や当時の状況を詳しく知る立場にないので、誤記や思い違いについては読者の御指摘を頂きたい。
◇
参考HP:
神戸商工貿易センタービル
http://www.kobe-citc.com/boueki/spec/infra/index.html
◇ ある建築家の見た阪神大震災(2)へ続く ◇
筆者も当時、同窓生たちの安否を気遣いながらも連絡が取れず、不安な数日を過ごした思い出がある。電話は通じずテレビやラジオだけが情報源であった。ニュース映像で最も印象的だったのは、水の出ない消火栓の前になすすべがなく呆然と立ちすくむ消防隊員の姿だった。
震災から数年たって上京したとき、建築家のM氏に都内を案内してもらう機会があった。「ゆりかもめ」に乗って都内臨海部を巡った折、車中で筆者が「首都で大地震に遭遇したらガラスの雨が降るのでは・・・」と危険論を発し、超高層建築の窓ガラスの話題になった。
筆者の心配に対し、M氏が語った事をまとめると、
1.「超高層ビルは耐震基準に従い設計どおりに施工されていれば、そんな事はないと思う・・・」
2.「実際、神戸の震度7程度では、人の命を奪うほどではない事が分かった」
3.「昭和56年に建築基準法が大改正され、新耐震設計法が導入された」
4.「それよりも中高層建築物で、昭和56年の建築基準法改正以前の建物が問題」
5.「そうした建物で、まだ補強を終えていないガラスの多い建物では問題が多いのではないか」となる。
筆者は「そうかなあ・・・」と疑問を残したまま帰路についた。
(筆者注:M氏は1970年代に超高層ビルの設計に参画した一級建築士。筆者とは学生時代寝食を共にした親友で、この記事への写真掲載の了解も得ている。以下この建築家を単にMと記す。)
この会話が発端で我家に、Mの写した阪神大震災の記録写真帳「大地の怒り」が送られて来た。70ページに及ぶこの写真帳をスキャンしたものが手元にあり長島記者の記事が立体的に理解できたのは幸いであった。
一方、ヤフーやGooglなどで阪神大震災の画像検索をしてみると数万がヒットする。しかしその記録写真の多くは、高速道路や線路の横転したもの・火の海の長田区・潰れたビルやその周辺の瓦礫の山、などである。
「大地の怒り」には、震度6強以上の地震にも耐えた建物が数多く記録されている。
報道を主体とするメディアの多くはニュース性重視の画像にこだわる。結果として軽微な損傷や健全であった建物の情景は記録に残りにくい。
そこで、筆者とMとのメール交信記録から、当時の超高層建築の状況や破壊された建物について写真を掲載し「建築家の目から見た阪神大震災」を紹介する。(続編に引用する場合があるので掲載の写真・資料に連続番号を記入、十数編の記事になる予定である。)
(1-1)・神戸商工貿易センタービル

1995年2月8日 M撮影(以下、本シリーズ共通)このビルは1969年10月竣工。109m 地上26階・地下2階。東京・霞が関ビルに次いで我が国で2番目に建てられた100m越えの超高層ビル。
このビルのホームページにはその耐震性について、次の様に書かれている。
「1995年の阪神・淡路大震災時に証明されました。震度6以上という未曾有の大震災でも、神戸商工貿易センタービルは損壊どころか、その構造に異常すら見られませんでした。」
しかし、この写真の余白にはMの筆で【このガラスのほか、上層部に2ヶ所ある】と追加の書き込みがある。
(1-2)・震源地図

公式には地震名は「兵庫県南部地震」災害名が「阪神・淡路大震災」あるが、この記事では単に阪神大震災と記述する。
(1-3)・阪神淡路大震災震度マップ

(図は内閣府HPより引用)
気象庁が地震機動観測班を派遣し現地調査を実施した結果、以下の地域は震度7であった。
神戸市須磨区鷹取・長田区大橋・兵庫区大開・中央区三宮・灘区六甲道・東灘区住吉、芦屋市
芦屋駅付近、西宮市夙川等、宝塚市の一部、淡路島北部の北淡町、一宮町、津名町の一部(内閣府HPより平成18.5.19.消防庁発表:確定報)
尚、筆者は神戸市の地理や当時の状況を詳しく知る立場にないので、誤記や思い違いについては読者の御指摘を頂きたい。
参考HP:
神戸商工貿易センタービル
http://www.kobe-citc.com/boueki/spec/infra/index.html
◇ ある建築家の見た阪神大震災(2)へ続く ◇
