この「沖縄フォト紀行2010」は、「沖縄に連帯する高知市民ツアー」(1月15日から18日)の旅の記録である。観光ガイド本などが故意に避けている「沖縄の基地問題」の周辺を取材したものである。
この連載を終えて考えることは、タイトルを「沖縄反戦紀行2010」とでもしておくべきだったのかな、ということである。「普天間基地移設問題を現地に見る」ということがツアーの第一の目的であったから、どうしても反戦平和の話題から離れることができなかった。各回のタイトルからは記事の内容がよくわからないかもしれない。簡潔に要約しておきたいと思う。

(1) 普天間基地を見る
昭和20年、住民を収容所に収容してから、宜野湾市の一等地に、普天間基地は作られた。今、「世界一危険な軍事基地」といわれ、立ち退きを迫られているのは、そのせいだ。戦勝国・アメリカの思い上がりによる軍事基地建設が招いた当然の帰結である。代替地など不要。
(2) 辺野古の海を見る
1620年にメイフラワー号がアメリカ東部に接岸したことが、普天間基地移設問題の発端である。アメリカ史は、領土拡大のための侵略戦争の連続である。沖縄の基地問題も、「南方領土」としてとらえた方がわかりやすい。1969年には、月面に星条旗を立てたお国柄なのだ。

(3) 伊江島の畑を見る
伊江島にも、すでに米軍基地がある。反戦地主として101歳まで闘った阿波根昌鴻さんは、交渉によって、基地の比重を徐々に減らし、基地に依存しない生き方を模索し続けた。彼の「非暴力直接行動」は確実に成果をあげたのである。アメリカ人には、彼に謝罪した人も多い。
(4) 読谷村のガマを見る
シムクガマでは、2人のアメリカ移住体験者が1000人の島民を「集団自決」から守った。チビチリガマでは、2人の日中戦争体験者が85人の島民を「集団自決」に導いた。海外体験は、諸刃の剣。阿波根さんは、「私たちも、また、命を大事にしなかった」と書いている。
(5) 首里城の赤瓦を見る
伊江島の山上から島全体を眺めると、赤土の畑が目立った。かつて中国人が命がけで伝えた赤瓦に、「沖縄は日本ではない」ことを実感した。基地経済は、沖縄の住宅様式にも及んでおり、沖縄戦で焼失した首里城は再建されるまでに47年を要した。
(6) 佐喜眞道夫さんと会った
佐喜眞美術館には、ノーベル平和賞候補になった丸木位里・俊夫妻による「沖縄戦の図」が常設展示されている。位里さんは、「沖縄を描くことがいちばん戦争を描いたことになります」と述べている。それを聞いた佐喜眞道夫さんには、深く共感するものがあった。
(7) 豊見山雅裕さんと会った
「普天間基地の問題は、移転することで解決する問題なのかどうか。イラクやアフガンで殺されている人たちにとって、どこの基地から出撃してきたかは問題ではない。『出撃』そのものが問題なんだ」アメリカの戦争に協力・追随することが正しい日本のあり方なのか。
(8) 謝花悦子さんと会った
1月24日、名護市長選挙で、基地反対派が勝利した。あの勝利も阿波根さんの反戦平和活動と無関係ではない。彼のつくった反戦平和資料館と団結道場のまいた種が、今、あちこちで芽吹いているのだ。謝花悦子さんは、反戦平和資料館の現館長さんである。
(9) 知花昌一さんと会った
1987年の沖縄国体のソフトボール会場で、日の丸を燃やした彼の話はおもしろかった。「僕は、とっさにスコアボードに上がって、日の丸を引き下ろし、100円ライターで燃やしました。体が動いたんです」彼は、事件後の右翼のしつこい嫌がらせについても語ってくれた。
(10) 金城実さんと会った
「戦争は人権無視から始まります。それは、異文化の抑圧と差別に発展していくもので、戦争の普遍的な論理です」と彼は言う。金城実さんは沖縄の彫刻家として、「戦争」をテーマにしている反戦平和活動家である。現在、「靖国合祀ガッテンナラン」訴訟を起こしている。
(11) 藤本幸久さんと会った
「サウスカロライナ州にある米海兵隊・新兵訓練所では、年間に2万人の海兵隊員を送り出す。『志願』とは名ばかりの『貧困徴兵制』により前線に送られるアメリカ兵もまた犠牲者なのだ」彼は、ドキュメント映画・『アメリカ』と『ONE SHOT ONE KILL』の監督である。
(12) くずめよしさんと会った
このツアーの水先案内人の、よしさん自身もまた、ユニークな反戦平和活動を展開している当事者である。2005年7月以来、九条Tシャツを世界中に配っているのである。憲法九条の移動広告塔は、現在5000にもなる。「平和の森」のための「種まきプロジェクト」である。

筆者の感想
最後に、「沖縄の基地問題」を考えるために、現在アメリカが抱えている2つの戦争の経過を見ておきたい。
1953年、アメリカのCIAがてこ入れして、イランにパーレビ政権を作り出した。そして、1979年、親米政権のパーレビ独裁に反発した人たちが、イスラム革命を起こした。アメリカの言いなりにならなくなった石油大国を懲らしめるために、アメリカはイラクのフセイン政権にてこ入れし、イラン・イラク戦争を起こさせた。(1980-1988)しかし、まもなくフセイン政権もアメリカの言いなりにはならなくなった。2003年、いくつかの口実を見つけて、言いがかり的にイラク戦争を始めた。アメリカが現在抱えている戦争の1つ・イラク戦争はそういう経過をたどって現在に至っているのだと思う。
アメリカが現在抱えているもう1つの戦争・アフガン戦争はこういう経過をたどって現在に至っているのだと思う。ソ連がアフガニスタンに軍事介入したが、撤退を余儀なくされた。(1979-1989)その間にアメリカのCIAが、ソ連を追い出すためにてこ入れしたのがオサマ・ビンラディンを頂点とするイスラム戦士たちである。しかし、ソ連撤退後、パレスチナ人を母親に持つ彼は、アルカイダを率いて、アメリカと戦い始めた。アメリカは、2001・9・11以後、タリバンがアルカイダをかくまったという理由で、「対テロ戦争」と位置づけてアフガン戦争を開始した。
どちらの戦争もその大義名分が非常に怪しい。国際法に触れるイスラエルのガザ攻撃となんら変わるところがない。貿易立国・日本が、13億といわれるイスラム教徒たちを敵に回すのはいかがなものだろうか。アルカイダの支援者は、世界に2000万人いるといわれている。
沖縄の基地は、海兵隊の出撃基地であり、現実に、イラクやアフガンに向けて出撃しているのである。アメリカの世界戦略を支持し、協力しなければならない義理など、独立国・日本にはない。普天間基地はなくせばいいだけの話であり、もし必要なら、代替基地はアメリカが勝手に用意すればいい。
3月6日現在、民主党政権は、沖縄県民の世論を無視する気配である。それは、かつてアメリカが65年前にとった手法で、あまりに古すぎるのだが・・・。
(関連記事)
沖縄フォト紀行2010(1) 普天間基地を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2371571.html
沖縄フォト紀行2010(2) 辺野古の海を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2394948.html
沖縄フォト紀行2010(3) 伊江島の畑を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2428596.html
沖縄フォト紀行2010(4) 読谷村のガマを見る
http://www.janjannews.jp/archives/2453148.html
沖縄フォト紀行2010(5) 首里城の赤瓦を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2479706.html
沖縄フォト紀行2010(6) 佐喜眞道夫さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2514920.html
沖縄フォト紀行2010(7) 豊見山雅裕さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2542706.html
沖縄フォト紀行2010(8) 謝花悦子さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2564024.html
沖縄フォト紀行2010(9) 知花昌一さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2575712.html
沖縄フォト紀行2010(10) 金城実さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2600735.html
沖縄フォト紀行2010(11) 藤本幸久さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2613694.html
沖縄フォト紀行2010(12) くずめよしさんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2771440.html
沖縄フォト紀行2010(13) まとめ
http://www.janjannews.jp/archives/2821192.html
(参考資料)
『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』(屋嘉比収著・世織書房)
『命こそ宝』(阿波根昌鴻著・岩波新書)
(関連リンク)
佐喜眞美術館
http://sakima.jp/
彫刻家 金城実の世界
http://kinnjyu.ti-da.net/
この連載を終えて考えることは、タイトルを「沖縄反戦紀行2010」とでもしておくべきだったのかな、ということである。「普天間基地移設問題を現地に見る」ということがツアーの第一の目的であったから、どうしても反戦平和の話題から離れることができなかった。各回のタイトルからは記事の内容がよくわからないかもしれない。簡潔に要約しておきたいと思う。

1月15日夕方の普天間基地。宜野湾市の中心部を占領している。金曜だったが、基地内に人の気配を感じなかった。(以下、すべて筆者撮影)
(1) 普天間基地を見る
昭和20年、住民を収容所に収容してから、宜野湾市の一等地に、普天間基地は作られた。今、「世界一危険な軍事基地」といわれ、立ち退きを迫られているのは、そのせいだ。戦勝国・アメリカの思い上がりによる軍事基地建設が招いた当然の帰結である。代替地など不要。
(2) 辺野古の海を見る
1620年にメイフラワー号がアメリカ東部に接岸したことが、普天間基地移設問題の発端である。アメリカ史は、領土拡大のための侵略戦争の連続である。沖縄の基地問題も、「南方領土」としてとらえた方がわかりやすい。1969年には、月面に星条旗を立てたお国柄なのだ。

辺野古の海はどこまでも澄みきっていた。キャンプ・シュワブを遠巻きに視察する船の船長さんは、写真家の牧志治氏であった。(1月16日)
(3) 伊江島の畑を見る
伊江島にも、すでに米軍基地がある。反戦地主として101歳まで闘った阿波根昌鴻さんは、交渉によって、基地の比重を徐々に減らし、基地に依存しない生き方を模索し続けた。彼の「非暴力直接行動」は確実に成果をあげたのである。アメリカ人には、彼に謝罪した人も多い。
(4) 読谷村のガマを見る
シムクガマでは、2人のアメリカ移住体験者が1000人の島民を「集団自決」から守った。チビチリガマでは、2人の日中戦争体験者が85人の島民を「集団自決」に導いた。海外体験は、諸刃の剣。阿波根さんは、「私たちも、また、命を大事にしなかった」と書いている。
(5) 首里城の赤瓦を見る
伊江島の山上から島全体を眺めると、赤土の畑が目立った。かつて中国人が命がけで伝えた赤瓦に、「沖縄は日本ではない」ことを実感した。基地経済は、沖縄の住宅様式にも及んでおり、沖縄戦で焼失した首里城は再建されるまでに47年を要した。
(6) 佐喜眞道夫さんと会った
佐喜眞美術館には、ノーベル平和賞候補になった丸木位里・俊夫妻による「沖縄戦の図」が常設展示されている。位里さんは、「沖縄を描くことがいちばん戦争を描いたことになります」と述べている。それを聞いた佐喜眞道夫さんには、深く共感するものがあった。
(7) 豊見山雅裕さんと会った
「普天間基地の問題は、移転することで解決する問題なのかどうか。イラクやアフガンで殺されている人たちにとって、どこの基地から出撃してきたかは問題ではない。『出撃』そのものが問題なんだ」アメリカの戦争に協力・追随することが正しい日本のあり方なのか。
(8) 謝花悦子さんと会った
1月24日、名護市長選挙で、基地反対派が勝利した。あの勝利も阿波根さんの反戦平和活動と無関係ではない。彼のつくった反戦平和資料館と団結道場のまいた種が、今、あちこちで芽吹いているのだ。謝花悦子さんは、反戦平和資料館の現館長さんである。
(9) 知花昌一さんと会った
1987年の沖縄国体のソフトボール会場で、日の丸を燃やした彼の話はおもしろかった。「僕は、とっさにスコアボードに上がって、日の丸を引き下ろし、100円ライターで燃やしました。体が動いたんです」彼は、事件後の右翼のしつこい嫌がらせについても語ってくれた。
(10) 金城実さんと会った
「戦争は人権無視から始まります。それは、異文化の抑圧と差別に発展していくもので、戦争の普遍的な論理です」と彼は言う。金城実さんは沖縄の彫刻家として、「戦争」をテーマにしている反戦平和活動家である。現在、「靖国合祀ガッテンナラン」訴訟を起こしている。
(11) 藤本幸久さんと会った
「サウスカロライナ州にある米海兵隊・新兵訓練所では、年間に2万人の海兵隊員を送り出す。『志願』とは名ばかりの『貧困徴兵制』により前線に送られるアメリカ兵もまた犠牲者なのだ」彼は、ドキュメント映画・『アメリカ』と『ONE SHOT ONE KILL』の監督である。
(12) くずめよしさんと会った
このツアーの水先案内人の、よしさん自身もまた、ユニークな反戦平和活動を展開している当事者である。2005年7月以来、九条Tシャツを世界中に配っているのである。憲法九条の移動広告塔は、現在5000にもなる。「平和の森」のための「種まきプロジェクト」である。

那覇空港から離陸するとき、空港の同じ敷地内に、陸上自衛隊の格納庫とヘリコプターが見えた。日本の基地も歓迎されていない。(1月18日)
筆者の感想
最後に、「沖縄の基地問題」を考えるために、現在アメリカが抱えている2つの戦争の経過を見ておきたい。
1953年、アメリカのCIAがてこ入れして、イランにパーレビ政権を作り出した。そして、1979年、親米政権のパーレビ独裁に反発した人たちが、イスラム革命を起こした。アメリカの言いなりにならなくなった石油大国を懲らしめるために、アメリカはイラクのフセイン政権にてこ入れし、イラン・イラク戦争を起こさせた。(1980-1988)しかし、まもなくフセイン政権もアメリカの言いなりにはならなくなった。2003年、いくつかの口実を見つけて、言いがかり的にイラク戦争を始めた。アメリカが現在抱えている戦争の1つ・イラク戦争はそういう経過をたどって現在に至っているのだと思う。
アメリカが現在抱えているもう1つの戦争・アフガン戦争はこういう経過をたどって現在に至っているのだと思う。ソ連がアフガニスタンに軍事介入したが、撤退を余儀なくされた。(1979-1989)その間にアメリカのCIAが、ソ連を追い出すためにてこ入れしたのがオサマ・ビンラディンを頂点とするイスラム戦士たちである。しかし、ソ連撤退後、パレスチナ人を母親に持つ彼は、アルカイダを率いて、アメリカと戦い始めた。アメリカは、2001・9・11以後、タリバンがアルカイダをかくまったという理由で、「対テロ戦争」と位置づけてアフガン戦争を開始した。
どちらの戦争もその大義名分が非常に怪しい。国際法に触れるイスラエルのガザ攻撃となんら変わるところがない。貿易立国・日本が、13億といわれるイスラム教徒たちを敵に回すのはいかがなものだろうか。アルカイダの支援者は、世界に2000万人いるといわれている。
沖縄の基地は、海兵隊の出撃基地であり、現実に、イラクやアフガンに向けて出撃しているのである。アメリカの世界戦略を支持し、協力しなければならない義理など、独立国・日本にはない。普天間基地はなくせばいいだけの話であり、もし必要なら、代替基地はアメリカが勝手に用意すればいい。
3月6日現在、民主党政権は、沖縄県民の世論を無視する気配である。それは、かつてアメリカが65年前にとった手法で、あまりに古すぎるのだが・・・。
(関連記事)
沖縄フォト紀行2010(1) 普天間基地を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2371571.html
沖縄フォト紀行2010(2) 辺野古の海を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2394948.html
沖縄フォト紀行2010(3) 伊江島の畑を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2428596.html
沖縄フォト紀行2010(4) 読谷村のガマを見る
http://www.janjannews.jp/archives/2453148.html
沖縄フォト紀行2010(5) 首里城の赤瓦を見る
http://www.janjannews.jp/archives/2479706.html
沖縄フォト紀行2010(6) 佐喜眞道夫さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2514920.html
沖縄フォト紀行2010(7) 豊見山雅裕さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2542706.html
沖縄フォト紀行2010(8) 謝花悦子さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2564024.html
沖縄フォト紀行2010(9) 知花昌一さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2575712.html
沖縄フォト紀行2010(10) 金城実さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2600735.html
沖縄フォト紀行2010(11) 藤本幸久さんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2613694.html
沖縄フォト紀行2010(12) くずめよしさんと会った
http://www.janjannews.jp/archives/2771440.html
沖縄フォト紀行2010(13) まとめ
http://www.janjannews.jp/archives/2821192.html
(参考資料)
『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』(屋嘉比収著・世織書房)
『命こそ宝』(阿波根昌鴻著・岩波新書)
(関連リンク)
佐喜眞美術館
http://sakima.jp/
彫刻家 金城実の世界
http://kinnjyu.ti-da.net/
