Esaman

 2月20日、NPO法人生物多様性フォーラムが主催する「日本は単一民族?それとも多文化共生? ~日本の中の先住民族問題~」に参加してきました。
 この企画は「生物多様性条約と先住民族の権利 ~生態系サービスを守る先住民族の智慧と伝統~」という連続企画の3回目にあたる講座です。
 
 主催者の方に「COP10とは何か」をお聞きしました。

 
 ●「生物多様性条約会議(COP10)」の意外な素顔。原野好正(生物多様性フォーラム)さん
 
 Q(筆者):COP10とは何ですか?
 A(原野):COP(Conference of the Parties)は、条約締約国が集まる会議です。
 国際条約ごとにCOPがあり、会議の回数をつけてCOPXと呼びます。
 名古屋で開催されるCOP10は「生物多様性条約についての第10回目の締約国会議」にあたります。
 
 Q:昨年、コペンハーゲンでCOP15が開催されていたのでは?
 A:COP15は、今回のCOP10とは違う条約のCOPなので数が違います。
 COP15は国連気候変動枠組条約(UNFCC)という条約の締結国の会議で、COP15で15回目ということになります。
 COP15は次回にはCOP16に、COP10は次回にはCOP11になります。
 
 Q:なぜCOP15では逮捕者が出るのでしょうか?
 A:メインテーマとなる地球温暖化対策やC02排出量などで、先進国とそうではない国々との問題などが明確になりやすいからではないでしょうか?
 
 Q:COP15のほうがCOP10より注目されている気がします。
 A:どちらの条約会議も1992年6月リオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)「リオサミット」で生まれたものです。
 気候変動についての条約会議のほうが開催頻度も短く影響も目に見えるので、注目されやすいのだと思います。
 
 Q:「生物多様性条約」とはなんですか?
 A:生物多様性条約とはConvention on Biological Diversityのことで、略称をCBDといいます。
 生物の多様性の保全、生物多様性の構成要素の持続可能な利用、遺伝資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な配分についての条約です。
 
 Q:名前から連想するものとは違い、ずいぶん政治的な会議という印象を持ちますが?
 A:そのとおりです。
 名前から連想して、野生生物保護条約だと思う人が多いですが、実のところは、遺伝資源の利用についての会議というのが現実で、政治的な意味合いが強いものになります。
 
 Q:今年のCOP10は重要と聞きましたが、どのような意味で重要なのしょうか?
 A:今年のCOP10では以下の3つが大きな目標とされており、かなり重要なCOPとなっています。
 
 (1)カルタヘナ議定書第5回締約国会合(COP/MOP5)の開催…
 カタルヘナ議定書とは、遺伝子組み換え作物などの影響について、どう防止するか、もし被害が出た場合はどこが責任をとるかについての議定書です。
 今回、この議定書の細部についての内容を決定することになっています。
 
 (2)ABSがCOP10の主要議題となっている…
 ABSとはトヨタなどでも話題になっている、アンチロックブレーキシステムのことではなくて「遺伝資源へのアクセスとその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分」のことです。
 簡単にいうと、遺伝子資源(植物など)を利用した結果(薬など)の利益分配には、先進国と発展途上国では格差が生じるので、(多くが先進国に拠点のある多国籍企業が開発してしまう)その利益の分配を公平にしようという会議です。
 
 (3)2010年目標の目標年…
 今年は「締約国は現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という。
 2002年のCOP6(オランダ・ハーグ)で採択された課題の目標年なので、次の10年の目標を設定することになっています。
 さらには、今年は国連の生物多様性年ともなっていて、より重要な年になっています。
 
 …COP10というのは「生物多様性条約」という名前から連想される「たくさんのいのちのいる地球を守りましょう」というようなイメージとは程遠く、遺伝子資源からの利益の分配をめぐる「生々しい政治的な駆け引き」の現場であるようです。
 適当に考えていた筆者にとっては、驚きの内容でした。
 
 その生々しい会議と「先住民族」は、どのように関係しているのでしょうか?
 
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生物多様性条約と、先住民族の関係性について解説する上村氏。隣のホワイトボードには、ダンスウィズウルブスとラストサムライの意外な関係についての解説もある。(撮影・Esaman、以下同じ)


 ●上村英明(市民外交センター)さんの話。西部開拓とラストサムライ
 
 本日、お話したいのは先住民族の側から見たら生物多様性条約についての話です。
 先住民族とは、どのような人だと思われますか?
 
 会場より…イヌイット、アボリジニ、プナン、日本人もそうだ、などの例が挙がる。
 
 ところで、みなさんは何民族ですか?(会場より戸惑いの声)
 
 ヤマト民族ではないでしょうか?
 
 戦前の日本の教科書は、大日本帝国の中にいる民族が書いてありました。
 扱いは問題ありですが、アイヌ民族がいることは書いてありました。
 自分たちのことを「ヤマト民族」と呼んでいました。
 
 日本の戦後教育を受けると、自分が何民族かが、わからなくなります。
 アメリカなどでは、おじいさんは何々系、おばあさんは何々系、などと考えるわけですが、日本人は違いますね。
 自分が何民族なのかが、わからないことが特徴になっています。
 当たり前のように「自分は自分」といったり「自分はコスモポリタン」という人までいます。
 不思議なエスニックグループです。
 
 みなさんは「ラストサムライ」を見たでしょうか?
 日本の村に鳥居があったりして、ヘンな映画ですが、主人公のトムクルーズがアメリカでインディアンを虐殺した兵士として出ています。
 女性や子供などの非戦闘員を殺して、プライドを失って、ぐでんぐでんに酔っ払っているところに、明治維新の日本で近代的な軍隊を作るアルバイトの話が来る。
 そこで近代化に反抗しているサムライの渡辺謙に出会う。
 
 この話に出てくるインディアンの虐殺は実在する話です。
 1864年にサンドクリークの虐殺がありました(*1)。
 1890年にもウーンデットニーで虐殺がありました。
 
 サンドクリークに野営していた、シャイアンとアラパホの人たちは、アメリカ合衆国と休戦協定を結んでいました。
 攻撃されて、アメリカの星条旗や白旗を掲げたにもかかわらず、義勇軍が虐殺しました。
 虐殺した義勇軍は、インディアンの戦士を1000人近く殺した、ということで凱旋して英雄になりました。
 あとでこの事件の真相が分かってから、アメリカの中でも問題化されるのですが、司令官は処罰されずに終わります。
 ラストサムライは、このような虐殺に従軍した兵士が、インディアンと似たようなサムライ達に出会って誇りを取り戻す話です。
 
 この映画のテーマは「西部開拓」です。
 北海道も開拓です。開発でなくて開拓です。
 「開拓」と「開発」はどう違うと思いますか?
 開拓は、未開の土地を明るくしてあげるという意味です。
 
 ヨーロッパ人が植民地を展開するときに、自分達以外の世界を未開の土地としました。
 日本が植民地を展開するときに、この「未開」という言葉は、捻じ曲がってて出来ます。
 
 中国や朝鮮を、ヨーロッパの文明を受け入れていない未開な国と言うのですが、長い歴史から見ると、中国や朝鮮は未開な国ではありません。
 歴史の殆どの部分において、日本のほうが中国から見て未開な国でした。
 
 たとえば、日本が古墳時代に中国が作っていた兵馬俑は凄い技術です。
 人間の等身大の焼き物を作るには、上から下まで同じ温度で焼かないといけません。
 自分は九州出身ですが、九州で出てくる埴輪ぐらいの大きさのものは、なんとか焼けるのですが、上と下とで温度が違うと、真ん中で折れてしまいます。ですから等身大の焼き物というのは、かなり高い技術が必要なのです。
 このようなことからも、中国は「文明的なもの」をもっていたと言えます。
 
 開拓に象徴的で、最近また使われている言葉に「ランドラッシュ」があります。
 いま世界では、食料の生産が世界的な問題になっており、土地の奪い合いが発生しています。
 このランドラッシュの第一回は、サンドクリークの虐殺から20年後、オクラホマで行われました。
 
 ネットで検索してもでてきますが、1889年の4月、開拓民が一列に並んで大砲の号令とともになだれこみ、オクラホマを占領してしまいました。
 そのオクラホマは、ほかの地域から移住させられてきたインディアンが、合衆国から永久に領土と保障されていた土地でした。
 ところがその後、市民からインディアンは土地を利用していないので開拓させろという要望があり、合衆国政府はそれを認めてしまったわけです。
 オクラホマは豊かだから、畑を作らないインディアンのものにしておかず、自分達に使わせろという話です。
 
 これは余っているお金を投資しませんかという話と似ています。
 その土地は余っているから俺に貸したら色々と生産をして有効活用をしましょう。
 そして土地も生産物も俺のものにしてしまうわけです。
 
 ランドラッシュや虐殺には土地を確保する以上の意味がありました。
 
 アメリカ大陸の先住民は、西部開拓の頃は、馬を手にいれ高い戦闘力がありました。
 この馬は、アメリカ人より前に、スペイン人によって持ちこまれて野生化していたものを、インディアンの人たちが独自に発展させたものでした。
 西部劇の頃は、1対1だと騎兵隊とインディアンは互角の戦いをしていました。
 騎兵隊は効率良くインディアンを倒せなかったのです。
 だから女子供を虐殺したり、食料源のバッファローを殺戮するなどの環境破壊戦争をしかけて、数を減らそうとしました。
 
 そしてインディアンを居留地に押し込めるのですが、居留地は宗教のセクトに与えられました。
 居留地では、インディアンの伝統的な生活を否定してヨーロッパ化する教育をしました。
 たとえば子供がインディアン風の絵を書いたりすると、教師がそれを破いて野蛮なものだと言ったりしました。
 家に帰ると「野蛮な」おじいちゃん、おばぁちゃんがいるので、家に帰さずに寄宿生活をさせました。
 そして先住民がいかに開拓の邪魔をしてきた悪いものだっと教えました。
 
 現代のインディアンが先住民族として求めているのは、このような歴史によって失われたものを取り戻すことです。
 
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地下鉄の扉に張ってある「生物多様性条約第10回締約国会議」のポスター。この会議が遺伝子資源をめぐる政治の舞台だと、何人が知っているだろうか?


 ●北海道開拓の話
 
 西部開拓の話と北海道開拓話は似ています。
 
 かつて「蝦夷」がいました。
 エミシやエゾと呼ばれる人たちで、蝦(エビ)とは腰が曲がった、言うことを聞かない奴等という意味です。
 「夷」とは「弓を引く人」という意味で、反抗する人という意味です。
 エミシというのが、アイヌなのかどうかは、よく分かりませんが、エゾというのはアイヌの人たちのことをさします。
 
 かつて北海道は蝦夷地と呼ばれていて、明治の頃に北海道になりました。
 なぜ北海道だけが「道」なのでしょうか?
 説明できる人は少ないと思います。
 
 北海道開拓使の「使」は、検非遺使の「使」と同じです。
 「使」というのは令外官(りょうげのかん)、すなわち中央の天皇制から外れた官僚機構という意味です。
 
 日本の行政区は府県でした。
 北海道は国内の法律が施行できず「道」になったのです。
 東京も東京府でしたが、戦争の時に広域を管理するために特別行政区を設置して都になりました。
 
 この時期に4つの条約が結ばれます。
 私達は日米和信条約が大事だと教わりますが、これはあまり重要ではありません。
 開国をして、日本に船員が着たらよろしく、という程度の条約です。
 4つの条約のうち、日露和信条約が一番重要です。
 米英との交渉とは違い、ロシアとの交渉では、国境交渉を行ったからです。
 
 この当時、どのように国境を決めたのかというと、どこまで自国民が住んでいるかで決めました。
 その時に、ロシアは北海道には日本人は住んでいないでしょ、沿岸部にはいるけども、一年中いないでしょ、というわけです。
 確かに、当時の北海道では、函館の近辺以外では、沿岸部に夏場に出稼ぎに来た日本人が一時的にいるだけで、一年中は住んでいませんでした。
 
 ここで困った日本政府は、北海道に一年中ずっと住んでいるアイヌは、昔から日本人であると主張したわけです。
 そうすると、かなり広い地域を領土として主張することができました。
 ロシア側も、まだ日露戦争前のことですし、南下する余裕も無く、そのように決まってしまったわけです。
 
 このあと明治政府は、国際社会にたいして、アイヌは日本人だと言ってしまったので、アイヌを日本化してゆくことになります。
 言葉も通じずに格好も違う人たちを「日本人である」と主張するのは無理があったからです。
 
 そして北海道全域を国有地化して植民地経営をはじめます。
 それ以前の時代にも植民地経営はありますが、それは沿岸部を一時期利用するだけのものでした。
 
 この頃の帝国議会の記録には、北海道の経営を、英国式にするか米国式にするかと議論した記録があります。
 英国式は、すぐに本国に役に立つものだけ、特に沿岸部を開発する方法です。
 北海道にはサケやマスなどの欧米人の好きな魚が取れるので、缶詰にして売るわけですが、実際には米国式の経営となります。
 当時、近代化に反抗した士族がいたので、その人たちを流刑地のように、北海道に送り込んで開拓を行わせたのです。
 日本政府にはお金がないので西部開拓をモデルにしました。
 そのような経緯があって、当時日本政府が雇っていた「お雇い外国人」の多くはイギリス人でしたが、北海道の担当者は、クラークなどの米国人になりました。
 
 明治政府は、入植者には広大な農地を与えて開墾させました。
 このときにランドラッシュも発生します。
 ところが、アイヌは日本政府の保護民なので、日本国民のように農地はもらえませんでした。
 
 沢山の開拓民が北海道に入植しても、すぐに食料生産はできないので、シカなどを獲って食べていました。
 北海道のエゾシカを乱獲して激減させたのはアイヌと開拓民だ、という話を目にしますが、実際に乱獲をしたのは開拓民です。
 エゾオオカミもこの時期に絶滅します。
 エトピリカもシマフクロウ、エゾワシ、タンチョウヅルなども絶滅危惧種になりました。
 シマフクロウはアイヌ民族にとって重要な動物ですがいまでは儀式なども行えなくなっています。
 
 アイヌの狩猟文化は毒文化です。
 矢筒には色々な毒を塗った矢尻が入っていて、山でみつけた動物に合わせて、矢尻を付け替えて狩をしました。トリカブトやエイの毒などを利用して、最適の量を使用したのです。
 毒を使った伝統的な狩猟方法も「危険だから」という理由だけで、全て禁止されました。
 
 アイヌはオヒョウという木の皮から繊維をとって衣服にしていました。
 クマザザの生えている北海道の内陸部を歩くには、木綿だと切れてしまうので、オヒョウの繊維で作った衣服のほうが適していました。
 移動の手段として川を使ったのですが、そこで乗るための丸木舟も、伐採が禁止されたので作ることができなくなりました。
 
 北海道で住むには、日本風の家では寒いです。
 開拓民の話で、家に隙間風が入るのを、水をかけて凍らせて防いだという話がありましたが、アイヌ式の家屋ではそんなことは絶対におきませんでした。
 アイヌの家は燃えにくい木を燃やして、床を暖めて住んでいました。
 
 差別と格差が拡大し、文化を否定されて、アイヌ民族は誇りを失ってゆきます。
 そして北海道旧土人保護法が制定されて、同化が進みます。
 
 戦後に日本政府は「全ての海外植民地を失いました」というプロパガンダを行い、みんなそれを信じました。
 実際には沖縄や北海道は残ってしましたが、植民地はなくなり、アイヌ民族もいなくなったことになりました。
 
 これに対して、アイヌ民族はいるぞという運動が起こされたのは84年、87年からはアイヌ民族が国連会議に参加しました。
 そして、アイヌ文化振興法が成立(1997年)して、政策の上ではアイヌ文化などを認めるわけですが、民族としては認めないのです。
 
 たとえばアイヌ語教室を行う場合、教材などのお金は出しますが、アイヌだけで集まるのは認められません。
 なぜアイヌだけて集まる必要があるのかというと、アイヌの人たちは経済格差があり、学齢も高くありません。
 ところが、アイヌ語教室に来る人には、高校の教師や学歴の高い人が多く、そのような人たちが、どんどん進んでいってしまうので、アイヌの人たちだけで集まりたいという要望があるのです。
 
 一昨年、日本政府はアイヌ民族を先住民族として認めました。
 これからどのような政策を行うのかということが話し合われています。

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COP10を紹介するホームページ。関連企画やホームページのデザインから連想されるものは、やはり、多様な生物を保護するというイメージである。


 ●生物多様性条約と先住民族の関係性
 
 アイヌの人たちの場合は、かなり昔から大きな変化に晒されていたのですが、世界の先住民族に、大きな変化がおきたのは1960年代の国連開発の10年の頃です。
 このころ、アメリカなどが関わって、世界の貧しい地域を開発するのですが、これにはカラクリがありました。
 
 アメリカとヨーロッパ諸国は当時、第二次大戦で疲弊していて経済復興をしなければなりませんでした。
 アメリカ本土は戦場にならなかったのですが、あれだけの戦争をしたので、アメリカもお金がなかったのです。
 そこで、アメリカとヨーロッパは、自分達の製品を買ってくれる市場を確保するために、国連機関を巻き込んで、世界中で途上国を開発しました。
 この時期に、世界の先住民族の土地が、多国籍企業によって開発されて先住民族が追い出されたりしました。
 これにたいして、1970-80年代に反開発主義運動が行われ始めました。
 
 そして1992年に、国連の開発会議が開催されて、環境と開発の調整を目的とした会議が行われました。
 この会議で、生物多様性条約と、気候変動枠組条約が作られたのです。
 この会議には先住民族の人たちも沢山参加しました。チカップさんも参加しました。(*2)
 そして、この時期は、開発主義が再び台頭してきた時期でもありました。
 
 私のように人権活動をしている人や、環境などの活動をしている人たちは、自由貿易を阻害する奴等だということで「新保護主義」などと言われたりしています。
 多国籍企業を監視する機関は廃止され、95年に世界貿易機関(WTO)ができて、世界中で開発をするようになりました。
 FTAなどの自由貿易協定は、貿易が全て自由化、多国籍企業が入り、自由に投資ができるようになります。
 
 この10年、普通の主婦がFXなどで投資をしていましたが、これは開発をしてきたわけです。
 お金は有効に使いましょう、そしてお金を生むようにしましょう、というわけです。
 投資ブームなども、WTOの作った流れの中にありました。
 
 開発の波が、それなりに伝統的な生活を守っていた先住民族の土地に、どんどん入ってきたわけです。
 これにたいして戦うために、国連の開発環境会議で生まれた条約が使えます。
 失ったものを取り戻すために利用して戦うのです。
 それがCOP10に100人近い先住民族が参加する意味だと思います。
 
 
*1:サンドクリークの虐殺
 1864年11月29日、シャイアンとアラパホの人たちの川沿いにあったテントを、シビングトン大佐率いる700人のコロラド民兵が一方的に急襲。
 虐殺は朝から昼まで行われ、兵士達はほとんど抵抗できない人々を虐殺。殺害されたのは70-200人。
 遺体は全て切断されており正確な数は分からないが、2/3は女性子供のものであった。
 兵士達は男女問わず性器や頭皮を切り取って戦利品として凱旋。
 このニュースは当初「1000人の敵対するインディアンを打ち破った」と報道されるが、程なく従軍した将校の内部告発によって露見するが、告発した将校は暗殺された。映画「ソルジャーブルー(1970)」の題材となる。
 
*2:チカップ美恵子(1948-2010)
 アイヌ民族の刺繍家。活動家。著述家。民俗学者の更科源蔵により、映画に出演したときの写真を無断使用され、さらに「滅び行く民族」とテロップを入れられたことに対して、アイヌ民族肖像権裁判(1985-88)を戦った。同裁判を支援する会の機関紙に「イメル」がある。1974年に三菱重工爆破事件を起こした、東アジア反日武装戦線の「狼グループ」の大道寺将司氏とも高校時代の同級生であるが、チカップ氏、あるいはアイヌ民族は、このテロとは全く関係がない。(テログループにとっては強い関係性があった)
 
 
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関連リンク:
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先住民族の10年市民連絡会

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