鈴木喜志子

 私のようなもの書きにとって表現をする上で差別語の制約は常につきまとう。差別語は社会の変化を反映し、読者の解釈にも影響される扱いにくいものである。しかも、近頃は差別語が増えていく傾向がある。ついこの間まで当たり前のように使われていた言葉がどんどん差別語になるので、日頃のチェックが欠かせない。
 
 02年「精神分裂病」が「統合失調症」に改められた。「精神分裂病」というと何をするかわからない、怖い人といった破壊的なイメージを聞く人に抱かせ、患者が誤解と偏見の目で見られるので病名を変更したいという要望が、全国精神障害者家族連合会から精神神経学会に対して92年から出されていた。医学界でも病名変更の機運が高まり討論が始まった。討論は患者本人や一般市民、マスコミにも公開され、いくつかの病名候補が出された。その時点で家族会と学会が協力し、新聞広告によって一般からの意見を聞くという形で新病名「統合失調症」に決まったという経緯がある。
 
 「精神分裂病」という病名を変更したいという主張はもっともである。しかし「統合失調症」に変えれば病気のマイナスイメージは払拭されるかもしれないが、病気に対する医師や患者周囲の人たちの危機感が薄れ、万一の場合に患者への適切な処置が遅れるのではないかという懸念を私は感じる。
 
 とはいっても、ものを書く以上、差別語を無視するわけにはいかない。表現の自由か読者の人権か、我々は常にそのせめぎ合いの中で創作活動を続けなければならない。表現者自身も言葉に対する感受性を研ぎ澄ますよう努力する必要がある。
 
 実は私自身も最近非常に気になる言葉がいくつかある。私は近い将来「老人」や「お年寄り」が差別語になると思っている。人口の高齢化が進む日本では年を取っても健康で活動的な高齢者が少なくない。そういう人たちまで一括りに「老人」と呼ぶのは屈辱的に感じられる。かといって「お年寄り」ではいかにもやっかい者じみている。先日、街を歩いていたら高齢者のデイサービスの車に「お年寄りの送迎中。ご迷惑をおかけしています」と書いてあった。私はそれを見てあきれてしまった。まるで高齢者は迷惑な存在だ。長生きしてごめんなさいねと言っているようではないか。こんな無神経で屈辱的な文句を車に書いて街中を走りまわっている事業所なんて、どうせろくなことをしていない。利用者さんを殴っていてもおかしくないんじゃないだろうか。
 
 「ファミリーレストラン」も気になる。ファミリーレストランとは「おもに家族連れや車利用者などの集客を目的とした、比較的安価の大型レストラン。郊外の幹線道路沿いに多い」(講談社『最新カタカナ用語、「読む見る」事典』)という意味だ。
 
 「おもに家族連れや…」と辞書にも明記されているように、家族連れでない人がファミレスを利用してもかまわない。実際におひとりさまがファミレスに入っても入店を拒否されることはない。
 
 しかし、ファミリーレストランと聞くと、夫婦とその子供たちといったいわゆる核家族が利用する場所であって、それ以外の人たちは本来の客ではないというニュアンスが感じられる。ファミリーレストランと銘打っておきながら実際はだれでも入れるのなら、なぜただのレストランではいけないのかわからない。
 
 元来、日本人は家族が好きだ。戸籍制度もその一つであり、健康保険証は原則1世帯に1枚などと、なんでも家族が基本単位になっている。昔は家制度というものもあり、家族個人の権利や主張よりも一家の体面が尊重される時代が長く続いた。
 
 第2次世界大戦が終わって家制度が事実上崩壊し、民主主義が定着するとともに日本の一般的な家族の生活も戦前とは大きく変わった。戦前の日本の平均的な家庭での食事といえば、その家の主婦が手料理を作り、一家全員が食堂に集まって家父長的な雰囲気の中でいただくのが普通だったが、最近では外食をする家族が珍しくない。たいていの家族は車でファミレスに出かけ、談笑しながら食事をとる。
 
 「きょうはファミレスに行きましょう」と言うと、いかにも時代の先端を行っているように聞こえるが、実は家制度の名残りを引きずっていることにほとんどの日本人は気付かない。
 
 子供のいない夫婦に「お子さんはまだ?」としつこく尋ねる人がよくいることを考えても、日本人は家族を形成できない者を格下と見なす傾向がある。そういう国民性がファミリーレストランという一見かっこいいが排他的な言葉を生んだと言ってもいいだろう。
 
 ちなみに英語にはファミリーレストランという言葉はない。ファミリーレストランは和製英語である。いわゆる日本のファミレスのことは英語では「チェーンレストラン」という。意味は「同一のレストランチェーンによって所有または経営されている複数のレストラン」(『ロングマン現代アメリカ英語辞典』)となっているように、辞書にはファミレスのように客層を限定する記述はない。
 
 従って、英語圏の国々でファミリーレストランと言っても通じない。それどころか個人主義の発達している欧米諸国の人たちにファミリーレストランと言ったら、相手は不快感を示すに違いない。
 
 ただし、英語には「シングルバー」という言葉がある。意味は「主に若い独身の男女が出会うために設けられた酒場」(『ロングマン現代英英総合辞典』)である。酒場は本来家族連れで来る場所ではないので、客層を限定しても抵抗はない。だから欧米では「シングルバー」が定着しているのだろう。
 
 さて話は日本の「ファミレス」に戻るが、私はいずれ淘汰される時代がやって来ると予測している。
 
 現代の日本の家族はかつてないスピードで多様化している。結婚しない男女や結婚しても子供を作らない夫婦、同性愛の夫婦、母子家庭、父子家庭、血縁のない複数の独身者が共同生活を営む世帯等々が増えつつある。今後この流れはますます加速していくだろう。
 
 こういった時代に「ファミリーレストラン」に違和感を覚える人たちが出てきてもおかしくない。良心的に解釈すれば、「家族構成を問わず、お互いの親睦を深めつつ食事をする場所―それがファミリーレストランだ」と言えなくもない。
 
 しかし、それなら「ファミリー」をつける必要はない。アメリカ式に「チェーンレストラン」に改称する、それとも「デニーズ」「ジョナサン」などの固有名詞で呼ぶ。
 
 そのいずれかに改めれば現在の「ファミリーレストラン」よりも明快で抵抗感がなくなるのではないだろうか。