佐藤弘弥

 今年はどうも晴天が続かないがその合間を縫って春光眩しい江東区にある清澄庭園を訪れた。

1

踏み石の彼方に清澄庭園のランドマーク「涼亭」が見える(3月11日筆者撮影、以下同じ)


 実はこの庭園だが、故郷である紀州から大都市江戸にみかん船を仕立てて江戸屈指の豪商となった紀伊国屋文左衛門(?-1734)の邸宅跡ではないかという言い伝えのある庭園だ。確かに近くの寺には当の文左衛門のお墓と伝わるものがある。その後、下総の久世大和守の江戸下屋敷になっていたが、明治維新が起こり、西南戦争で一財産を築いて三菱財閥を創始した岩崎弥太郎が、この庭園に手に入れて、明治13年(1880)、「深川親睦園」を開園したという。
 
 中に入ってみると、さながら石の名園「石庭」の風情があった。文左衛門の故郷である紀州の石は、もとより、伊豆の磯石、伊予の青石、佐渡の赤石、備中の御影石、京都保津川石、加茂新真黒石、真鶴石など、日本中からさまざまな石が集められている。これは文左衛門の時代にあったものに、明治以降さらに海運王となった岩崎弥太郎が、資金力に任せて、名石を収集したものだろうか。池(泉水)を取り囲むように配置されている踏み石の上を歩いているだけで、この庭園から大自然のエネルギーを受けているような気がしてくる。
 
 「磯渡り」と名付けられた踏み石の途中から、池の東に建つ「涼亭」を見ると、何とも言えない風情を感じた。この家屋は、岩崎弥太郎が、明治42年(1909)に国賓として訪日した英国のキャッチナー元帥を持てなす為に建てられたものである。周囲には大きな灯籠が置かれて、庭園全体のランドマークとなっている。
 
 残念ながら池の淵には、青粉が多く、水質は必ずしも良いとは思えなかった。人になれた鯉が、人影や足音につられて、水面に顔をのぞかせて、エサをねだる姿は長閑だ。水鳥たちも、人などまったく気にする様子もなく、人影を踏む範囲まで、のこのことやって来ては、また空高く舞い上がるという感じだ。
 
 涼亭の左には、駿河湾に擬したような湾を隔てて、富士山と呼ばれる小高い尾根が築かれている。湾の狭まった奥には、大きな紀州の青石が楯に置かれ、伊豆の磯石などが、荒磯の風情を醸し出していた。石の上には、蕗の薹が芽吹いていて、春の深まりを感じた。

2

紀州の青石、伊豆の青石など荒磯を思わせる風情が見事だ


 この湾を歩いて行くと、石作りの門があって、広い平地が確保されている。ここは現在周囲に花菖蒲の田が配置されているが、基本的に平地である。おそらく、ここは庭園の亭主となった人々の屋敷があった場所だろう。隅田川の岸辺から運ばれた芭蕉の句碑が立っていた。無造作に、木造のテーブルと椅子が並んでいて、今はカンヒザクラが見事にわが世の春を謳歌するようにかっと目を剥いたように咲いていた。

3

亭主の邸宅跡と思われる自由広場ではカンヒザクラが満開だ


 「さまざまなこと思い出す桜かな」という芭蕉の絶唱があるが、老夫妻が満開の桜の中で食事を楽しみ桜を見上げる姿に、日本人の花を愛でる感性には独特のものがある、と再認識させられた。
 
 つづく